正義とはむしろ、今お前が頑張っている剣道や、お父さんが修行している居合道の方に多くの共通点を持つものではないかとお父さんは考えています。
正義のバトン(1/8:第一回Kino-Kuni文學賞佳作受賞作品)
お前があと半年ほどで中学に上がるにあたって、お父さんは父親として、またお前と同じ一人の男として、あることを伝えておこうと思います。少し長くなると思いますが、必ず最後まで読んでください。
帰って来い、ヨッパライ!(4/4)
この酔っ払いの姿が描かれなくなるという事は、その背景に我々日本人の経済状況、家庭状況、労働状況の変化が想定できるわけだが、話はそれに止まるものではあるまい。それらは描かれなくなった直接的原因ではあるかもしれないが、事態そのものを説明していない。事の本質はこの国の文化的、さらに突っ込んで言うなら神道的感受性の表現の一つが消失した、ということだろう。いや、この言い方は多分に僕の願望が含まれる。“表現の一つ”どころではなく、“感受性”そのものが部分的に失われた、という事だ。
帰って来い、ヨッパライ!(3/4)
以上のように考えるなら、この姿は、相当平和で幸福なものではないだろうか。経済的に豊かで、家庭の維持を主要な役割とする配偶者を持ち、しかもこちらの帰りを起きて待っていてくれる。それでいて、相手との関係は対等なのである。何よりすごいのは、こうした姿が、さほど遠くない時代に“標準”として位置づけられていたという事だ。ある意味で、日本人にとっての理想的な在り方を体現していたと言えるのではないか。
帰って来い、ヨッパライ!(2/4)
折詰についてはいま一歩進めてみたい。例の酔っ払いは、持って帰った折詰をどうするのか。
中身が握り鮨であれ押し鮨であれ、基本的には生ものには違いないのだから、奴は帰宅して時間を置かずにそれが消費されることを想定しているはずである。ではその消費者、つまり折詰の中身を食べるのは誰なのか。
帰って来い、ヨッパライ!(1/4)
ここ数年、主にマンガの世界から、ある典型的かつ伝統的な描写が消えている。“酔っ払い”の姿である。
ぶっちぎり爺ちゃん(後編)
そうした武勇伝の中でも特筆すべきは、爺ちゃんの肝煎りで社会会館を建ててしまった事だろう。地域の分校跡地をどうにかしたいが予算がない、という話が出た時、爺ちゃんが「俺に任せろ」と金集めを買って出たのだが、その手口というのが実に鮮やかだった。
爺ちゃんは市に掛け合ったところで引っ張れる金など多寡が知れていると見た。そこで地元の有力企業を訪ね、「あんたらの宣伝をしてやるが金を出せるか」という交渉をした。「地域に公共施設を建て、そこで注目されそうな福祉事業をやる。出資者の手柄を全部くれてやるから出すモノを出せ。ついては地域に直接金を出しても宣伝効果は薄いだろうから、まず市に預けてくれ。後はこっちで上手くやる」
ぶっちぎり爺ちゃん(前篇)
その爺ちゃんに初めて会ったのは小学校低学年の時分だった。
爺ちゃんはリンゴ畑の農道でニコニコとお茶をすすりながら幼い孫と遊んでいた。額から頭頂にかけて毛の抜け上がった頭やよく日に焼けた顔、年季の入った野良着、首に下げた手拭いに大振りのゴム長、何より額や目尻に深く畳まれた皺に何とも言えぬ味があり、そういう脂の抜けた老人がたっぷりと春の陽を浴びて、くりくり頭の幼な子と満開の林檎の花の下で戯れる素朴な姿には、見ようによっては西洋の宗教画のような奥行きと格調があり、小学生なりに曰く言い難い、侵すべからざる静謐を感じ取ったものだ。
帰ってくる人(後編)
その心情を汲み取ることができないことで、誰かを怒らせたり傷つけたりしたような時、僕は当の相手や、その相手の支持者から間違いなく道徳的・倫理的な反省を迫られる。その頻度が余りに多かったため、恐らく僕は僕以外の人々の数倍は自己嫌悪と自己否定の傾きが強い人間になってしまったのだが、しかし、僕が誰かによって非常に立腹させられたり傷つけられた時、決して対称的な事態にはならない。
帰ってくる人(前編)
今からもう10年以上前のこと。
現在中学生の長男がまだオムツを穿いていた頃、奴は父親の僕が会社に行っている間に時々「お父ちゃんのマネ」をしていたらしい。そこら辺にある物を手あたり次第両手にぶら提げて、一旦テコテコと玄関に走って行き、居間のドアを開けながら
「タダイマァ~」
とやっていたのだそうだ。
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