翻って考えれば、与太郎噺が古典落語として伝えられているのは、それが成立した当時の人々には共感できるものだったという事だ。もちろんある程度のデフォルメはされているだろうが、江戸を生きた父祖たちにとって、高座で語られる与太郎とそれを取り巻く周囲の人々の文脈は、実際に存在するだけでなく、まさに自分たちが生きているところの世界だったのである。
センター与太郎②
父祖たちは、「LD」「発達障害」「高機能障害」などを抱えた人物が近くにやってくると、周辺に追いやることも過剰に“人並み”を突きつけることもせず、むしろコミュニティの中心に据え、皆でなにくれとなく世話を焼き、しくじりについては大らかなユーモアで包み込んでいたのだ。そうした感覚の共有が下地にあったからこそ、与太郎噺が成立し、それが受け継がれたのに違いない。もし僕が当時の江戸にタイムスリップして「何で皆さんはそうまでして与太郎の世話を焼くんですか。放っとけばいいでしょうに。何の得にもなりゃしないんだから」などと言ったら、びっくり仰天されるのだろう。棟梁さんあたりに「…お前ェさん、ちょっとこっちにおいで」と手招きされて火鉢の向こう前に座らされ、「それァあんまり切ねえじゃねえかい。胸に手ェ当てておっ母さんの顔をよおっく思い出してみな。いいかい、人間てぇのは…」なんてコンコンと説教されるに違いない。感動的である。父祖たちが持っていた世界の、何と豊かだったことか!
もちろん、今は現状の対応をする方が当の“与太郎”にとって望ましい場合もあるだろう。抱えている困難に気づいてもらえず、過剰に“普通”を要求されて精神や人格に深刻なダメージを負ってしまう例は僕の周囲でも少なくない。そうした子が専門的な診断を受け、病名を冠せられることで、やっと周囲からの“普通であることの要求”から解放されることも多い。しかし、不具合を抱えた子を前にして、その子を「福祉」の名のもとにコミュニティの周辺に隔離しようとする社会と、ユーモアで包み込んでコミュニティの中心に据えようとする社会と、僕らが100年後の子孫たちに伝えたいのはどちらだろう。
思うに、現状での対応に貧弱さを感じてしまうのは、“健常者”と位置付けられる我々がこしらえた仕組みの中で、“規格外”と認定された人々に“いかに我々に近づけられるか”という尺度で対応するからだろう。少し冷静になれば、この謂わば“同等の視点”が最初から失敗することはすぐに分かる。我々の視点から“同等に対応できない”というラベル(病名)を付けておきながら、その相手を“同等”の中に回収できる訳がない。結果的に我々と同様の振舞ができるか否か、という程度に順って徐々に周辺に追いやることになる。
そもそも“健常者”なる我々が、自分たちの都合で“規格外”と判断した人々を、なぜ同等に扱わなければならないのだろう。僕はむしろ父祖たちのように、「規格外ならむしろリスペクトしてしまう」というのが正解だろうと思う。無論、社会制度的に実施するのはなお数十年の試行錯誤と経験が必要かもしれない。が、我々一般庶民が市井においてその下地を作るのはさほど困難ではないと信ずる。そのために要求されるのは“発想の転換”だろう。
僕が知っている人で「難病ノルマ論」なるものを唱えている人がいる。“特殊な難病は一定の人口中、必ず一定の割合で現れる。これは神様が我々に課すノルマだ”とする考え方だ。この発想をもう一歩進め、与太郎に応用するなら次のように考えることが出来るかもしれない。
「この子は私が課せられていたかもしれないノルマを肩代わりしてくれているのだ」
そしてこの感受性が我々の中に浸透していけば、こんな態度が共有され得る。
――だったら、この子を皆で世話するのは当たり前じゃないか――
我々が江戸の父祖たちと同じ地平に立てるとしたら、このような文脈によるのではあるまいか。
“ノルマ論”はフィクションかもしれない。しかしフィクションと知りながらそれを皆で引き受けられるとしたら、これ程豊かな社会はないだろう。この豊かさは、たかだかの経済発展など鼻で笑い飛ばせるほどの根源的な幸福を我々にもたらしてくれるに違いない。もしそれが可能なら、僕はこうした豊かさをこそ子孫たちに残したいと思う。
実は、僕の息子の一人は思考力の発達に遅れがあり、全てではないが特殊学級のカリキュラムを受け、学校の宿題なども他の子たちと別メニューを組んでもらっている。協調性や運動能力は、父親であるヒネクレ者の僕よりもむしろ優れたところがあり、今のところ親の僕も息子自身もさほどの困難は感じていない。しかし、いずれ遠からず、受け入れざるを得ないビハインドを前提に、周囲の友だちとは別の道を選択する時期が来るだろう。
――願わくばこの子が遠い将来、今と同じ笑顔でその生涯を終えられますように――
与太郎を子に持つ父の、切なる祈りである。
(センター与太郎:完)
著者プロフィール
- 長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師(国語科)、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段。エッセイ・小説等でこれまで16のコンテストで受賞経験あり。座右の銘は『煩悩即菩提心』。2016年、山家神社衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「Holistic Style Book」、「やおよろず屋~日本記事絵巻」、地方スポーツ紙「上田スポーツプレス」でも活動中。右利き。
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