「世界が存在するってなんて不思議なんだろう」
「世界が存在するということはなんて驚くべきことなんだろう」
時々こう思うことがあります。
私たちは普段、世界が存在するということに改めて驚いたり、不思議がったりはしません。何事もないように日々を過ごしていきます。「世界が存在する」ということがごく当たり前であるかのように―
創造の世界
神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。
― L.ウィトゲンシュタイン
世界が存在するということは、本当に当たり前のことでしょうか。
それとも奇跡的な何か、不思議さや驚きに溢れたことでしょうか。
私たちは「世界がある」というこの不思議を感じているでしょうか。
それとも「世界がある」ということは、驚いたり、不思議がったりするようなものではないのでしょうか。
世界がある、ということ。
宇宙が存在する、ということ。
存在するものが存在する、ということ。
太陽。
月。
星々。
空。
大地。
昼と夜。
季節の移ろい。
大自然の営み。
目を開くと、そこには“世界”がある。
私たちは創造された世界を見る。・・・そこには、生命があり、円環(サークル)があり、はじまりも終わりもない尺度がある。
― フィリップ・ディアー
私はふとネイティヴ・アメリカンのとある部族の格言を思い出すことがあります。
『創世記はいまも続いている』
世界は刻々と生き、刻々と動き、
静止することなく創造を続けている。
世界の創造はかつて行われたことではなく、今まさに刻々と行われているということ。
創世記はかつて起こった出来事ではなく、今もまた創世記であるということ。
宇宙は刻々と創造を続け、私たちはその創造の真っただ中にいるということ。
この瞬間瞬間が創造そのものであり、
今が、創世記であること。
私たちは創世記を生きているということ―
人が「神が世界を創造した、これこそ最大の奇跡ではないか」と言い、「神は絶えず世界を創造している」と言わないのは不思議なことだ。というのも世界が始まったということが、なぜ、世界があり続けているということよりも大きな奇跡でなければならないのか。その人が感嘆しながら言うように神が世界を創造したとして、今ここにある世界はいったい何なのか。
もし神を創造主と考えるのなら、創造されたその世界がまだ持続してここに存在しているほうがより大きな奇跡ではないだろうか。そもそも、世界の創造と持続はもともと一つの同じことだったのではないか。
― L.ウィトゲンシュタイン
太陽は昇り、沈む。
昼が来て、夜が来る。
空に星たちが瞬く。
雨が降る。
風が吹く。
雪が降る。
季節が巡る。
宇宙の創造の行為は、
一瞬も止まることなく刻々と起こっている。
時を超え、時代や社会を超え、繰り返し、繰り返し、巡り、巡り、
宇宙は永遠に創造し続けている。
目を開くと、いつもそこには創造の世界がある。
創造という神秘そのものが。
私たちは今、目の前で宇宙の創造を目の当たりにしている。
時を超えた、始まりも終わりもない限りなき宇宙の創造を―
それは本当に“当たり前”のことなのか、
それとも奇跡と神秘に溢れた“何か”なのか。
東の空と大地が夜明けの色に染まるころ、
ここには新しい生命が息づきはじめます。
いちばんに呼び起こされるのは母なる大地です。
大地は、体を揺すって目を覚まし、起き上がり、
生まれたばかりの夜明けの息吹を感じます。
木の葉や草は風にそよぎ、みんなみんな動きはじめます。
真新しい一日の息吹とともに。
あらゆるところで命が生まれ変わります。
なんと神秘に満ちあふれているのでしょう。
私たちは今、とても神聖なことを話し合っています。
それは、毎日毎日起こっていることなのに。
― ザ・クラヒュース・タヒラッサウィッチ
大きいものから小さいものまで、
存在するすべてに働く宇宙の力、宇宙の創造の行為。
足元に落ちている小さな石も、
はるか遠くで輝く星も、
宇宙の創造の一部として存在するもの。
何気なく生えている草も、
じっと黙って立っている木も、
宇宙の創造の意志によって存在するもの。
一つ一つのすべてが宇宙の創造の行為から生まれ、
等しい価値を持って存在するもの。
岩はひとりでここにやってきたのではない。
木はひとりでにここに立っているのではない。
これらすべてをつくった者がいて、
私たちにすべてを見せてくれている。
― ユキ族の伝承歌
冷たい風を切り、白鳥たちが群れをなして飛んで行く。
それもまた宇宙の創造の行為。
春夏秋冬、季節は巡り続ける。
それもまた宇宙の創造の行為。
命が生まれ、やがて死にゆく。
それもまた宇宙の創造の行為。
どこかで星が生まれる。
どこかで星が消え去る。
それもまた宇宙の創造の行為。
耳を澄ますと風の音が聴こえる。
風の音は宇宙の創造の声そのもの。
風は永遠の昔から、原初の宇宙の頃から、
ずっと吹き続けているもの・・・
風の音は、時を超えた創造の声・・・
日々、心を新たにし、目を新たにし、耳を新たにし、
心静かに世界を見つめ、聴くならば、
“世界の創造”という神秘を、その奇跡を感じることができるかもしれません。
時を超えたその驚くべき何か、計り知れない何かを。
それは私たちのすぐそばで、すぐ隣で刻々と起こっていること―
著者プロフィール
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10代の頃から人には言えない多くの苦しみを経験してきました。20代半ば、自身の人生の虚しさから生きる意味や価値をやみくもに追い求めて失敗。その大きな失敗は精神的な危機をもたらしました。その後、失敗や苦しみの経験を糧に自身の生き方を改めてきました。
「苦悩は魂を根源的に変える」。今はそう強く感じます。
現在、雪の多い北国の田舎でライターの仕事をしつつ、畑で野菜作りをし、自然の中で瞑想し、カラスたちと戯れ、家で古今東西の本を読み・・・そんな日々を送っています。自身の弱さや未熟さを自覚し、学びつつある毎日です。
野菜作りは川口由一さん流の自然農を実践しています。
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