夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
成功哲学といえばジョセフ・マーフィ理論です。マーフィーの言葉に、「広大無辺な力」というのがあります。美しい言葉ですね。
個人的な潜在意識に落とし込まれた願望は、広大無辺な力によって具現化されるのです。集合的無意識、あるいは宇宙意思に喩える人もいますが、美しいのでここでは広大無辺な力という呼び方を続けます。
それもたくさん
その経験があったからこそ、願望とは何なのだろう?という疑問と答えを自分なりに見出した気がするので、今回はその時のことをお話します。
【成功哲学】その前に、自分の願望について吟味した方がいい
円形脱毛症の成功者
生真面目にマーフィー理論を実践し、具体的なイメージングを続けた結果、面白いように願望は実現しました。でも、問題はその後でした。
その根拠は、「自分の幸福を叶えようとするのはいいけれど、他人が不幸になることを願うと自分が不幸になる」というマーフィーの黄金法則でした。成功哲学を実践していると、このルールの正しさを実感する機会が一気に増えます。
誰かを蹴落としたいと願っている人が不幸になり、自分がやりたいことに没頭している人は成功するというシンプルな事実に、自然と目がいくようになるからです。また、自分の悪意を自覚していない被害妄想者が、いかに世の中には多いのかも知りました。
- 人を呪わば穴二つ
- いい気になってしっぺ返しをくらう
この2つの状況だけは絶対に避けなければならない!とにかくわたしは必死で、しまいには髪の毛が抜けたのです。
叶ったからこそ、しっぺ返しが怖い
念のためですが、ジョセフ・マーフィーはこんなこと主張していません。この話は全て、わたしの完璧主義が災いした間違った拡大解釈です。
無理
- 誰かに悪い感情を抱いてはいけない
- 一瞬たりとも見下してはいけない
- 優越感に浸ってはならない
- 否定、非難してはいけない
いつも、自分は本心では他人を見下しているんじゃないのか?と不安でした。ようするに、心が清らかでないとバチが当たると思っていたのです。だったら寺にでも入ればよかったのですが。
支店営業のトップとして燦然とグラフに輝く自分の名前に、わたしはすでに喜べなくなっていました。それが何よりの願望だったはずなのに、最高に嬉しいはずなのに。
極悪人にも太陽は降り注ぐ
聖人君子になろうとするのをやめたのは、広大無辺な力とは、「容赦ない自然の法則」なのだと気がついたからです。
平等
たとえば、底抜けにポジティブなサイコパスが正しいイメージングを続ければ、間違いなく願望は具現化するはずです。社会的成功者にサイコパスが多いのは偶然ではありません。面白がって人を傷つけることはあっても、くよくよした罪悪感とは一生無縁なのですから。
広大無辺な力と集合的無意識
情緒が安定して落ち着いた頃、自分の願望と他人の願望について疑問がわきました。わたしの契約本数が一番になると、その前まで一番だった人は当然、2番や3番に順位が落ちます。
こういう場合の定番の答えは、以下のようなものです。
- 本当は罪悪感を持っていたから叶わなかった。
- その後、実はもっと良い展開が待っているから。
- 幸福を自分に許可していないから。
- 道徳的に間違った願いだったから。
どの答えも不公平な気がして、あまりピンときませんでした。
しかし、広大無辺な力は、みんながつながっている証拠だという考えだけは、少なくとも確かに実感できるものでした。そうでなければ、タイミングよくお客さんからコールバックで追加注文がきたり、偶然に大口の契約が連発するわけがないからです。
この素朴な疑問には、やはり「容赦ない自然」が答えてくれました。自然は明らかに「みんなのもの」です。
意識
- 同じ茎から、赤い花が2つ咲いているとします。
- 片方の赤い花はそのまま実をつけて、もう片方は何かの拍子でぽとりと落ちてしまいました。
- それでもやっぱり、茎と根はひとつです。
2つの花の言い分が違っても、意識を茎と根におけば、「もっとも効率的に花を咲かせただけ」です。自然はいつも、しかるべき原因と結果によってしか成り立ちません。
この場合は、片方の花がぽとりと落ちなければ、そこから病気になり、根が腐り、植物自体が枯れたのかもしれません。
あなたの願望がわたしの願望と正反対なら、叶った方が一番効率的でふさわしい方法だったということです。全体の願望は、全体に意識をおかなければ見えてきません。
しかし、個別の意識(エゴ)でどんなに考えても、全体(集合的無意識)は理解できません。なおかつ、全体は個別の意識を、もらさず包括しています。
ややこしいですね。では、個人の願望を追求することに意味はないのでしょうか?やはり寺に駆け込み、ワンネス意識を目指して瞑想すべきなのでしょうか?
自分の価値観や個性という幻
個人の願望について考えるには、まず自分なりの価値観や個性という幻を見極めるのが先決です。おそらく誰もがこの作業を忘れたままで、自分はきっと◯◯がほしいのだと思い込んでいます。
わたし達の価値観は、ほぼ保護者の刷り込みによって、最初の骨組みをされるものです。次に友人、恋人、スター、小説、流行によって味付けされます。
ペルソナ
本来の価値観とは、もっともっと流動的なものです。自分を他人のごとく俯瞰して、偏見や反応のクセを観察したうえで、さあ何を選択するか?刹那の判断力にこそ価値観が現れます。
個性についても同様で、過去の経験値をダダ漏れすることが「個性的」なのではありません。その都度、自分の身の振り方を真剣に選択する刹那の判断力こそが個性なのです。
自分の願望という幻
なかなか願いが叶わない人には、自分の願望を冷静に吟味することをおすすめします。わかりやすいのが、トランサーフィンという記事で書いた「それは理性と魂が一緒に笑う願望か?」という考え方です。
ひらめきうさぎ
理性と魂が一緒に笑う願望とは、いわばソクラテスの「プシュケの気遣い」です。プシュケは知(理性)と徳(魂)を表します。みんなが自分のプシュケの世話をすべきなのです。
わたしの「理性の望み」は、営業成績が向上して、社会的に成功している人になることでしたから、売上グラフに書き出された自分の名前や、支店長から表彰されている場面をイメージングしました。
トップ営業になるというキャッチコピーも理性が決めたもので、根拠は歩合給のアップや肩書という社会的な刷り込みです。
順調に叶っていた夢が途中から幸福につながらず、しまいに円形脱毛症になった理由は、「魂の望み」を無視していたからだと今は知っています。
魂は、大成功なんて望んでいませんでした。チーム内で白い目で見られないだけの安定したノルマ達成と、親しい人間関係がほしかっただけです。根拠は、誰かを槍玉に上げて叱責する朝礼や、ギスギスした支店のムードが辛かったからです。
わたしはただ、「仲の良い職場環境でやりがいのある仕事を満喫している自分」を、ありありとイメージングすれば良かったのです。そうすれば、理性と魂は一緒に笑い、支店全体の売上が上がり、プレッシャーにならないだけの契約本数で楽しく働けたのでしょう。
自分の記憶を覗いてみてください。わたし達は、なかなか叶わない望みにこそ執着する生きものです。それが手の届かないものであればあるほど、素晴らしい夢として心の真ん中に君臨し続けます。しかし、手に入れるとあっさり「コレじゃなかった」とがっかりするのです。
出発の時間がきた。
そして、私たちはそれぞれの道を行く。
私は死ぬ、あなたは生きる。
どっちが良いのかは神だけが知っている。
ソクラテス
まとめ
自分の願望と刷り込みによる願望を切り分けるコツ
理性と魂が一緒に笑う願望を思い描くと、なぜか解放感を感じます。どんなに荒唐無稽な望みでも、リラックスして思い描くことができます。しかし、何が何でもやり遂げようという熱望の状態には要注意です。その望みはあなたのものでなく、誰かからの刷り込みという合図かもしれません。
著者プロフィール
- 実際には泳げないカナヅチのトランサーファーです。自然に恵まれた北の地で、家族と高齢猫と暮らしています。
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