夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
笑顔、親切、言霊 + 気の押し出し。前回は言霊についてお伝えしました。さて、知られざる言霊のパワーを実践しても、いつもわたし達の足を引っ張るものがあります。それが、比較という風習です。あえて「風習」と呼びますが、人類の歴史にはいつの頃からか、いえ、たぶん人類初期の頃から、人と人とを「比較する能力」がついて回ります。
元々宇宙の法則の予定内だったのか?はたまた予定外についてしまった能力なのか?微妙なところです。
【幸せになる方法⑩】「比較」という風習が「明るい比較」なら
陰気な比較という風習
誰は赤で、誰は青、自分は◇で、君は△、彼は良くて、彼女はいまいち、よりよく出来る人とそれより劣っている人、キリがありませんね。比較には色々ありますが、いつしかどんどん陰気な比較の仕方に引っ張り込まれそうになるものです。
誰は誰と比べて優れている、劣っている、までは良いですが、この人は劣っているのだから、低い人→敗者。かっこ良くない人→努力の足りない人。それらが暴走すると、レイジーな人は下の立場、発言権のない人であり、ひれ伏すべき立場だ、という観念を持つ人が多くなってきています。時代や地域の違いも影響するでしょうが、そうやって、負けた人の気持ちを元気にするのではなく、元気を奪う人が出現しているのです。
元気を奪う
こういう人生の先輩(特に親や育てた大人、偽りの師など)が、知らないうちに子どもに劣等感を植え付けてしまったので、その子供は教わった通り、自分より低い立場の人を作ろうと探したりし、人によっては他人を苛めるたりするようになります。
もちろん劣等感は、誰しも多少なりとも持っているものです。その誰もが意地悪な人になってしまうとは限りません。しかし、こういう流れに入ってしまう事が多々あると思いませんか?
楽しい比較、わくわくゲーム感覚の比較
対照的に、世の中には楽しい比較能力を引き継いで生きている人たちも存在します。比較とは、見方を変えれば楽しいものです。例えばスポーツなら、「よーし、絶対にお前に勝つぞー!」とわくわく楽しくなりますし、勝ったらものすごく嬉しくて、負けたら悔しいけれど、次は絶対に!とばかりに、技を磨くプロセスも充実して楽しいものです。
楽しい比較には、勝った者が負けた者を馬鹿にするという感覚がありません。お互い向上させ合って、お互いの楽しみのレベルをもっと高くしようとする、とても意識レベルの高い能力です。
ひらめきうさぎ
楽しい比較能力は、お互いの向上のみならず世の中の向上にも一役買ってくれます。楽しい比較能力を持つ人たちは、何かの競争(ゲーム)を一生懸命に練習し、ワクワクしながら挑みます。そして勝っても負けても次のステップで改良に改良を重ねながら、もっとハイレベルで楽しいゲームにしようとします。
寂しさ、不安を伴う比較は、妬み、嫉妬に発展する
夢見るニャンコ
それがエスカレートすると、愛に満たされている人から愛を奪ってやるとか、その関係を壊してやるとか、自分に目をむけさせて尊敬させてやろうという歪んだ野望がわいてきます。
今日に至るまで、その陰気な比較能力は、人によって度合いがさまざまです。しかし、とにかくわたし達みんなの潜在意識の中には、すで記憶として刻まれているのです。苛める人にやりやすい環境にいる人は、そのような感情が表に表れやすいといえます。
生まれて初めてそんな感情を自覚すると、自分でもきっと「嫌な感情がわいてしまったな」と感じますが、次第に麻痺して何とも思わなくなってしまいます。
世の中、歴史のせいにしても仕方がない
嫌な事があったり、辛い人生を送っていたりすると、誰しもついつい他人のせいにしてしまいたくなるかもしれません。逆に、全部自分で背負い込んで、「全ては自分の足りなさゆえです」と自分のせいにするのも良くありません。
人類の過去や人々の生き様も、全部が潜在意識には刻まれています。その記憶をみんなが共有しているので、自分が身に覚えないことでも、フッとネガティブな感情がわいてくる事があるでしょう。それを全て自分のせいだとするのは、かえって傲慢です。
勇者ひよこ
苛める人は、実は使命を与えられている
今世、苛める側になりやすい環境に生まれた人、そのような人生で魂の修行を予定して生まれた人は、苛める自分に葛藤して苦しみながら人生を終わりなさいと言われているのではありません。
メモひよこ
それも苦しい山を乗り越え、また乗り越え、さらに大きな山を乗り越えなければ立派な人間になる事はできないというわけではないのです。他者と愛を持ったコミュニケーションをとり、笑顔で楽しく魂磨きをするように準備されているのです。
魂磨きイコール比較ではありません。なぜか魂磨きはそのように勘違いされています。その証拠に、なかなか信じられなく、受け入れがたい人はこう言います。「え?修行って、楽しくてもいいの?!」
苛める人は、実は、苛める側に育ちやすい環境で育ちますが、乗り越える(方向転換できる)能力ときっかけを与えられて生まれています。人は生まれる前に、乗り越えられないハンディはもらってきません。苛める人は、苛めない人になれる、他者を思いやれる人になれる才能をもらっているはずです。
人と比較をして劣っているといっても、
決して恥ずることではない。
けれども、
去年の自分と今年の自分とを比較して、
もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。
松下幸之助
まとめ
【幸せになる方法⑩】「比較」という風習が「明るい比較」なら
- 陰気な「比較」の風習が、妬み、嫉妬を生み出し、苛める人を作る種になってしまう。
- 世の中や歴史の流れのせいにしても仕方がない。その中で幸せに生きている人は沢山いる。
- 苛める人は、ポジティブになるという使命を与えられて生まれている。
著者プロフィール
- 地球に生まれてウン十年、なぜ生まれたか、何をするために生まれたか、どこから生まれて死んだらどうなるのか、宇宙の果てはどうなっているのか、なぜ宇宙ができたか、歴史の謎・・・そんなことが、子どもの頃から気になって仕方ない人間でした。考えてもどうしようもないよと、親戚の叔父から愛情で言われても、気になるものは気になるのでした。今までの人生で分岐点が数回ありましたが、その中には「もう駄目かも、それなら最後に」と思った次の日に、光が差し思いがけなく道が開けたとか、「なぜ私って、人ってこうなんだろう?!」と大地を叩いた次の日に、驚きの本と出会ったり、世間で大きな事件が起きてざわついていたころに、台風の目の中のような静寂な空間に入り・・・そんな分岐点がありました。それで、どんな人でも幸せな道が準備されていて、意外に簡単なことでその扉が開く、と確信したのです。また、先駆けて幸せまっしぐら(心身ともに)の先輩たちは、世の中がどう動いても変わらず幸せに生きていることを知りました。その後輩である私(と勝手に思う)は、あなたの細胞が少しでも元気になる情報を、未熟ながら発信していきたいなと考えております!
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