夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
「人間力」という言葉が、いろんな場面で使われています。教育理念に「人間力の形成」を掲げている学校も数多くあります。
しかし、肝心の人間力の定義は、非常にあいまいなものです。
今回は「人間力とは何か?」に迫ると同時に、私たちが考えている「人間力」と、政府や学校が育もうとしている「人間力」が、実はずれているというお話しです。
【影響力】「人間力」って、何?ズレズレの学校と社会の求めるチカラ
そもそも、「〇〇力」って?
行動力、決断力、雑談力、女子力・・・ 世の中には「〇〇力」で表すことのできる言葉が、いっぱいあります。なかには、「そんな力もあるの?」と耳を疑いたくなるようなものもありますね。でも、「〇〇力」と表すことができる言葉には、ある共通点があります。たとえば、「行動力」については、「選択を迫られたときに、動くか動かないか」、すなわち、どういう状況であろうと「動く」という選択肢を選ぶことが多いと、「あの人は行動力がある」と言われます。「決断力」も同じで、「選択を迫られたときに、決めるか決めないか」という局面で、「決める」という選択の回数が多い人が、「決断力がある」と言われるのです。
このように、「〇〇力」で言い表せる言葉は、「〇〇するかしないか」と表すこともできるのです。
そう考えると、「雑談力」という言葉はどうなのでしょか?「雑談をするかしないか」で、「雑談をする」という選択を選ぶ回数が多くても、「雑談力が高い」とは言えないでしょう。「雑談力」は、「雑談の技術」と言った方が適切なのです。「〇〇力」という言い方だと、鍛えれば誰でも習得、向上できそうですが、「技術」の場合は向き不向きがあります。
このような観点から「人間力」をみていくと、とてもおかしい言葉であることに気づきます。「人間するかしないかで、人間するを選ぶ」では、意味が分かりませんね。しかし、このおかしな言葉について、2003年に日本政府が真面目に検討し、見解をだしていたのです。
人間力を政府が定義していた?
内閣府の、その名もずばり「人間力戦略研究会」が、2003年に「人間力戦略研究会報告書:若者に夢や目標を抱かせ、意欲を高める:~信頼と連携の社会システム」という文書を発表しています。ここではまず、従来は、社会が学校に対して、「学力の形成」を求めていたが、社会が求める学力のイメージと、学校が育む学力のイメージにズレが生じている、ということに触れています。そこで「学力」の代わりに注目されたのが、「人間力」でした。
この報告書では、経済成長と「個人の自立」は、切っても切り離せない関係だと論じ、人間力について、あいまいで定義するのは難しいものとしています。そのうえで、「社会を構成し、運営するとともに、自立した一人の人間として、力強く生きていくための総合的な力」と定義しています。わかりやすく言えば、「立派な社会人としての力」です。人間力戦略研究会はさらに、人間力は、
- 知的能力的要素
- 社会・対人関係力的要素
- 自己制御的要素
の3つに分けられるとしています。この3つのどれか一つだけが秀でていてもだめで、「バランスよく高めること」が大事だとされています。頭がよく、コミュニケーションがうまく、自分をコントロールできる人。まさに、できる社会人といった感じです。
私たちが抱く「人間力」のイメージと違う・・・?
どうですか?政府の定義で、納得できましたか?「なんか違うなぁ」と思った人はいませんか?私たちが普段「人間力」という言葉を使う時、「立派な社会人としての力」というよりも、もっと個人的な力、もっと日常に即した力をイメージしているのではないでしょうか?実際、「人間力」と「仕事力」を対比する言葉として扱っている人もいます。また、芸術への評価で「人間力の溢れる」などといった表現をする人もいます。どうやら、私たちが抱いている「人間力」のイメージは、政府の定義とズレているようです。
私たちがどのような場面で、「人間力」という言葉を使っているのかをつぶさにみていくと、
- 「人間力」の多寡は、人生の「経験値」に基づいている
- 経験値から発せられる「何か」の強さを、「人間力」という言葉で表している
ということがわかってきます。この「何か」は、人によっては「オーラ」という表現をしたり、「輝き」という表現をしたり、「温かみ」という表現をしたり、「器の大きさ」という表現をしたりします。相手の人物の人間性によって、「何か」がなんなのかは変わってきます。いずれにしても、生まれつき備わっているものではなく、その人の人生経験から学んだことに、裏打ちされたものです。そして、この「何か」は、人にポジティブな影響を与えます。周りの人にやる気を与えたり、周りの人の力を引き出したり、誰かの相談にのって問題を解決したりするのです。この、
- 人に、ポジティブな影響を与えた回数が多く、影響を与える力が大きい人
を、私たちは「人間力がある」と呼んでいたのです。単なる「影響力」とは違い、「人間としての経験の深さ」がもとになっているのが「人間力」の特徴です。つまり、最初の「〇〇力」の定義に即して考えれば、「人にポジティブな影響を与えるか与えないか」を「人間力」と呼ぶのです。もちろん、この「人間力」が高い人は、社会人として優れている人も多いでしょうが、こちらの「人間力」は単に社会人としてではなく、家庭や交友関係、表現活動など、あらゆる場で力を発揮するでしょう。
学校が育む「人間力」は、やっぱりズレている
とはいえ、政府の定義した「人間力」は、10年以上前のもの。時代の流れとともに、政府も考え方を変えたのではないか?と考える人もいるでしょう。しかし、今、多くの学校や教育委員会が教育理念などで「人間力」というワードを出すとき、ほとんどが、2003年の政府の定義に近い「人間力」の方を使っています。「2003年に内閣府がだした人間力の定義をもとに」とはっきり記している教育委員会もあるほどです。教育の現場では、「立派な社会人の力」としての人間力をもとに、教育が行われているのです。
「立派な社会人」とは、「社会に役立つ人間」ということですが、うがった見方をすれば、「既存の経済社会に都合のいい人間」とも言えます。つまり、学校教育における「人間力の形成」というのは、「企業に都合のいい人材を育てる」とも言えるのです。確かに、これで学校と社会の齟齬は解消できるでしょう。しかし、学校は、企業のための職業訓練校ではありません。政府や学校の言う人間力には、実際のところ問題があります。彼らは、知的能力、社会・対人関係力、自己制御がバランスよく高い人を、「人間力が高い」としています。つまり、病気や障害で、知能やコミュニケーション、自己制御が苦手な人を、「人間力が低い」とみなしていることになるのです。これは、「障害者や病人は、社会の役に立たない」という、企業の利益や経済成長を優先する考え方が背景に伺えます。
一方、私たちが抱いている「人間力」のイメージは、人生経験の深さに裏打ちされています。知能が低くても、コミュニケーションが苦手でも、感情にムラがあっても、そのような経験からいろんなことを学びとることによって、人間力を上げていくことができるのです。決して、学校が用意したカリキュラムのみで、形成されるものではありません。
「政府が定義した人間力」と、「私たちが漠然とイメージする人間力」。あなたはどちらの「人間力」を鍛えたいですか?
経験とは、あなたに起こった事柄ではない。
起こったことに対する、あなたのしたことだ。
トーマス・ハクスリー(生物学者)
まとめ
【影響力】「人間力」って、何?ズレズレの学校と社会の求めるチカラ
真の「人間力」とは
- 人間力の多寡は、人生経験の深さに基づく。
- 経験値から発せられる「オーラ」「温かみ」「器の大きさ」と呼ばれるものが、人間力のカギ。
- これによって、人にポジティブな影響を与える力の大きさを、「人間力」と呼ぶ。
著者プロフィール
- 2015年にピースボート地球一周の船旅に参加し、現在は仮面ライダーの記事を中心にフリーライター業。また、埼玉を中心に、道端の野仏から日本の民俗を研究している日本民俗学ファン。現在、船旅や日本民俗学などをテーマにしたブログ「僕らは旅人」を展開中。
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