夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
前回は主に、サンキーヤ学派の世界観と、ヨーガ学派の幸福論について考えました。
今回は、ヨーガ・スートラについて見てみましょう。ヨーガ・スートラの著者は、パタンジャリと言われています。ところが、このパタンジャリは、実在した人かどうかわからないのです。また歴史上、パタンジャリを名乗る人物は複数いるのです。
パタンジャリは、紀元前150年頃の人と考えられていますが、ヨーガ・スートラが成立したのは4~6世紀と考えられています。ということは、パタンジャリ以外の人も、ヨーガ・スートラの著作に関わったのです。複数の本を編集した可能性もあります。
【インド哲学②】ヨガの歴史2
ヨーガ・スートラ
ヨーガ・スートラは全体で4章に分かれ、195の詩句が記載されています。この中で、ヨーガの八部門(八支ヨーガ)が説かれています。①禁戒、②勧戒、③坐法、④調息、⑤制感、⑥凝念、⑦静慮、⑧三昧のことです。①~⑤はバヒル・アンガ(外的部門)と呼ばれ、心理的・生理的手順が書かれています。⑥~⑧はアンタル・アンガ(内的部門)と呼ばれ、ヨーガの最終段階に至る過程が書かれています。
①禁戒(ヤマ)
禁戒は、統御とも制戒とも言われます。いわゆる自己抑制のことです。
『禁戒は、非暴力(アヒンサー)、正直(サティア)、不盗(アステーヤ)、禁欲(ブラフマチャリア)、不貧(アパリグリハ)である』(二・三〇)
これらの5つの戒律は、ヨーガとは直接関係ありませんが、ヨーガを行う前提条件となる心得です。ちなみに禁欲とは、結婚してはいけないという意味ではなく、いわゆる夜の繁華街的な、いかがわしいことをしてはいけないということです。そしてこれらの戒律が、出身地、場所、時間、状況に関係なく徹底されるなら、マハーバーラタ(大誓戒)と呼ばれます。
②勧戒(ニヤマ)
勧戒は、内制とも言われます。禁戒が慎むべき項目を並べているのに対し、勧戒は自己の心得として「こうするべきである」という項目を挙げたものです。
『勧戒は、清浄、知足、苦行、読誦、神への祈りである』(二・三二)
- 清浄(シャウチャ)・・・体と心を清らかに保つ
- 知足(サントーヤ)・・・足るを知る心
- 苦行(タパス)・・・修行への専念
- 読誦(スバァーディヤーヤ)・・・聖典音読の励行・学習
- 神への祈り(イーシュヴァラ・プラニナーダ)・・・ヨーガの始祖としての神を敬う
苦行・読誦・神への祈りは、日常行うものなので、行事ヨーガ(クリアー・ヨーガ)と呼ばれます。①禁戒と②勧戒が身について、はじめてヨーガを修める下地が整います。③以降が、ヨーガの具体的技法の解説になるのです。
③坐法(アーサナ)
『坐りかたは、安定し、かつ快適でなければならない。安定した、快適な坐りかたを完成するには、リラックスし、心を無限なものへ合一させなければならない』(二・四六、四七)
ひよこ行者
ヨーガ・スートラが書かれたとき、すでに100種類程度の坐りかたがあったと推定されています。だけど、ヨーガ・スートラが説く坐法は、ハタ・ヨーガにみられる様々なポーズのことではありません。
④調息(プラーナーヤーマ)
調息とは、意識して呼吸を規則正しく整えることです。こうして、心と身体の乱れが収まり、ヨーガを深める注意力が強くなります。
『座法が達成されたとき、呼気と吸気の動きを断つことが調息である。調息から、心の光輝を覆い隠していた煩悩が除去される』(二・四九、五二)
律動したてのひよこ
⑤制感(プラティヤーハーラ)
制感は、眼、耳、鼻、舌、身などの感覚器官を、外部から断つこと、すなわち外界からの接触を断つことです。
『制感とは、諸感覚器官が、それぞれの対象と結びつかなくなり、心自体の模造品のようなにることである』(二・五四)
感覚器官が外界によって攪乱されず、心の状態に同調すると、心の止滅に近づくことができます。
⑥凝念(ダーラナー)
『凝念とは、心が一つの場所に固定されることである』(三・一)
身体のある一点、たとえばヘソや心臓の中心、鼻の先、眉間、舌の先端など、身体のある一点を選び、そこに思念を集中・凝結させ、心を固定させます。
⑦静慮(ディヤーナ)
『静慮とは、心が固定された場所に向かって、想念が絶え間なく一筋に伸びていくことである』(三・二)
凝念で絞り込んだ点を中心に、同心円状に外周へと拡がる波動のように、思念を及ぼしていくことです。
⑧三昧(サマーディ)
『三昧とは、静慮があたかも客体ばかりになり、自体が空にになったかのような場合のことである』(三・三)
三昧とは、⑥凝念を経て⑦静慮に至り、これを徹底すると自然に生じてくるものです。静慮で想念された対象である客体だけが顕現し、客体になりきった状態を指します。
三昧シロクマ
すなわち主体(主観)と客体(客観)を分けたり、言葉や概念によって世界を分けたりして、日常を捉えている認識の存在が消失するのです。まさに『ヨーガとは心の働きの止滅である』(一・二)のです。
心の働きの止滅
このとき、体と感覚器官は眠っているようにリラックスしていますが、心と理性は起きているときのように覚醒していて、心が意識を超越している状態になります。すなわち、心・体・知性の働きは停止しているので、「私」や「私のもの」という感覚が消滅した状態になるのです。
では、心が止滅した後、どうなるのでしょうか?
『止滅したとき、純粋観照者たる真我(精神原理)は、自己本来の状態にとどまる』(一・三)
また、精神と物質を識別する英知を「弁別智」と呼びます。
『ヨーガの諸部門に漸次専念することから穢れは消えていき、それに応じて智慧の光が輝き出て、弁別智が現れる。確固たる弁別智こそが、無明除去の手段である』(二・二六、二八)
ここでいう無明(無知)とは、真理に対する知の欠如で、無常な物を常なるものと思い込んだりすることです。少し難しいのですが、インド哲学では、通常の心理状態を超越したとき、真の知、直観、直覚が発現し、これが解脱へと導くと考えているのです。前回説明した、サンキーヤ学派の世界観と同様のことを主張しています。根本物質(プラクリティ)の中に、あらかじめ畳込まれていた創造世界が展開されます(因中有果論といいます)が、この展開された世界から離れたとき、純粋精神(プルシャ)が現れるのです。
速度を上げるばかりが、
人生ではない。
ガンジー
まとめ
【インド哲学②】ヨガの歴史2
ヨーガ・スートラは、物質世界から離れ、心の動きを止めたとき、真の知、直観、直覚が現れ、これにより解脱、つまり幸福になれると説きます。この論法は、サンキーヤ学派の世界観やヨーガ学派の主張と同じであり、ヨーガ・スートラは、両学派の思想上での解脱方法を体系化した本と言えます。
参考文献:「ヨーガの思想」山下博著(講談社・選書・メチエ)
著者プロフィール
- 理系大学を卒業し、製造業に携わっているにもかかわらず、西洋や東洋の思想に興味を持ち、コツコツと勉強しています。
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