夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
お前があと半年ほどで中学に上がるにあたって、お父さんは父親として、またお前と同じ一人の男として、あることを伝えておこうと思います。少し長くなると思いますが、必ず最後まで読んでください。
正義のバトン(1/8:第一回Kino-Kuni文學賞佳作受賞作品)
お前のお祖母ちゃんや伯父さんが口を揃えて言うように、お前のいいところは全部お母さんから受け継いだものです。反対に、あまり良くないところや面倒臭い所は全部お父さんから受け継いでいます。お前が成長するにつれてこれがますますはっきりしてくるので、正直お父さんは複雑な思いで苦笑いしてばかりいます。真に長男というのは面白く、また怖ろしいものです。
さて、面倒臭い所を全部お父さんから受け継いでいるとすれば、多分お前はあと半年を過ぎたあたりから、「正義」ということについて考え始めるようになると思います。それを考える参考として、お父さんの考える「正義」というものをお前に示しておきます。
前もって言っておきますが、ローティーン(13歳~15歳)の入り口に立つお前が考える正義は、すでに大人になったお父さんのそれよりもずっと純粋で鋭く、猛々しいものになるでしょう。そのお前の目から見たお父さんの正義は、随分物足りないものに映るかと思います。そのことについてお父さんは弁解するつもりはありません。また、お父さんの考えをお前がすべて受け入れる必要もありません。お前の齢なりに真剣に考えることは、決して間違いではないからです。また、お前にはお前の視点からお父さんを批判する権利があります。その権利は誰からも侵害されてはならないものです。ただ、お前がこれから成長していくそれぞれの段階で、時々これから伝えることを振り返ってみてください。お前が共感するにしろ批判するにしろ、振り返るに値する内容ではあるとお父さんは信じます。
「正義」とは、ただ“正しい”ことではありません。そこに“義”が伴わなければ正義にはなりません。
「義」という字は、いくつかの解釈がありますが、“美”と“我”が合わさったものだと言われています。つまり“我(自分)を美しくするもの”ということです。そうだとすれば、どんなに正しいことでも、美しさを欠いたものを「正義」とは呼べないのです。このことはよく考えておきなさい。
中学に入れば、お前はこの国や世界の歴史について教わるようになるでしょう。高校に進めばより深く学ぶようになるはずです。そうした中で、この国や世界を生きたさまざまな人々が、さまざまな「正しさ」を叫んだことを知るでしょう。その正しさをよく読み解いてみてください。美しさを欠いた「正しさ」がどれほど多くの命を奪い、どれほど多くの物事を破壊したか。お前ならすぐに気付くと思います。
また、ここで言う“美しさ”とは言葉の美しさではないことにもよく注意しなさい。「義」とは我、自分の美しさのことなのです。もしお前が将来、何らかの正義を唱えようとするのであれば、正義を語るその言葉ではなく、お前自身の美、お前の在り方そのものの美しさを厳しく自らに問いなさい。
西洋では、「正義」にあたるものとして“ジャスティス(justice)”という言葉を使います。ジャスティスとは、「何時でも、何処でも、誰にでも通用する正しさ」、もっと正確に言えば、そのように想定されている正しさのことを指します。しかし、「正義」とはそうしたものではありません。「何時でも、何処でも、誰にでも通用する正義」というものは決して存在しませんし、また存在してはなりません。もしお前が、自分の考え方や信念を「絶対に正しい」と思うなら、それはその時点ですでに正義ではないと知りなさい。自らを疑う視点に欠ける者が叫ぶ正義ほど、いかがわしく危険なものはありません。もしお前が30歳を過ぎてそうした正義を掲げる人間になっていたら、お父さんはためらうことなくお前の命を奪いに行きます。お父さんがそういう覚悟を持った人間であることは、決して忘れずにいてください。
こういうと、もしかしたらお前は“正義”よりも“ジャスティス”に憧れ、それを求めようとするかもしれませんね。その気持ちは、お父さんも想像することが出来ます。でもひとまずこう言っておきます。この国に生まれ、この国の文化のなかで育ったお前は、もっと簡単に言うなら、このお父さんの子として育ったお前には、ジャスティスについて考える必要はありません。考える権利と自由はもちろんお前は持っています。でも、その必要は無いのです。もしお前が西洋の国民として帰化し、子や孫(お父さんにとっては曾孫)が生まれたとしたら、その孫には考える必要が出てくるでしょう。しかしお前自身には、お父さんの子であるお前には、それは必要ありません。“正義”についてきちんと考えることが出来るなら、それで充分です。
お前にはこういう言い方が、意地の悪いものに聞こえるでしょうか。もしそう聞こえるなら、一つだけヒントを出しておきます。人類の歴史上、「何時でも、何処でも、誰にでも通用する正しい主張」というものは、ただの一度も成立したことがありません。そしてこれからも決して成立しないでしょう。世界の歴史を真剣に学んでみなさい。この国に生まれ育ったお前なら、すぐに分かるようになるはずです。
著者プロフィール
- 長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師(国語科)、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段。エッセイ・小説等でこれまで16のコンテストで受賞経験あり。座右の銘は『煩悩即菩提心』。2016年、山家神社衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「Holistic Style Book」、「やおよろず屋~日本記事絵巻」、地方スポーツ紙「上田スポーツプレス」でも活動中。右利き。
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