夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
正義とはむしろ、今お前が頑張っている剣道や、お父さんが修行している居合道の方に多くの共通点を持つものではないかとお父さんは考えています。
正義のバトン(2/8:第一回Kino-Kuni文學賞佳作受賞作品)
何時だったか、お前に「武」について話したことがありましたね。そう、剣道や居合道を含む「武道」の“武”という字についてです。「武」とは、“弐つを止める”、あるいは“戈を止める”という意味を持ちます。つまり、武道の目的とは争いを止めることです。戦いに勝つことが目的なのではありません。各々のたゆまぬ精進によって、戦う必要がなくなること、それが武道の完成した姿です。お前もお父さんも、自分と相手の両方に剣を抜く意思を持たせないようにする、剣を抜く必要をなくす、そのために剣を学んでいるのです。武道人として、このことは決して忘れてはなりません。いやしくも武道を志す者なら、決して修行以外の場でその力や技を振るってはならない。それが許されるのは、次の醜い諍いを生まないためにはそれ以外の方法が無い、そうした真にやむを得ない状況に追い込まれてしまった場合だけです。
「正義」も、そういうものなのではないか。これが40年を生きたお父さんがたどり着いた考えです。それを振りかざすよりも、振りかざさずに済ませる方により大きな価値をもつもの。振りかざさずに済ませるためにこそ、普段からしっかりと考えておかねばならないもの。次の愚かな争いを止めるためにのみそれを使うことを許されるもの。そうしたものではないかと思うのです。
お父さんが居合で使う刀は、お前も時々見ていますね。本物の日本刀には見る者の心を動かさずにおかないほどの美しさがあります。そうした神秘的とも言える美しさは、お前もよく知っている通りのものです。しかし、その美しい日本刀が、使い方によってはとても危険な凶器になることも、お前はよく知っているでしょう。
多分、正義とは日本刀と同じ在り方をしているものです。それは多くの人を感動させることが出来るでしょう。しかし同時に、多くの人や物を傷つけることも出来る極めて危険なものでもあります。そしてその危険性は、お父さんの持つ刀よりもはるかに大きなものなのです。
お父さんは、お前が正しい人間になってくれることを心から願っています。でも、お前はいつも“正義”である必要はありません。むしろ、正義であり続けてはなりません。なぜなら、お前が正義であり続けるためには、必ず正義でないもの、“非正義”を必要とするからです。世の中には昔から、自分が正義であり続けるために非正義を作り続ける人間がいます。そうした人間は、たとえどれほど美しく見えるとしても、最も愚かな人間なのです。どうかお前はそんな愚かな人間にはならないでください。
もしかしたらお前は、人生のある時期を、正義を一番大事な価値と信じて生きるかもしれません。お父さんにはそういう時期がありました。しかし、よく心得ておきなさい。正義とは、決して人間にとって最高の価値にはなりません。正義は確かにお前自身やお前が守るべき人たちを助ける力を持ちますが、多くの場合、正義でない人も作ってしまいます。そして、その人は必ずお前の敵となるでしょう。正義は誰かを守ることはできても、幸せにはしません。正義はお前に「力」と「美」は与えても、決して「幸福」を与えはしないでしょう。
正義よりもはるかに尊い価値を持つものがあることを知りなさい。それは、ある人が「慈悲」と呼び、ある人が「仁」と呼び、またある人が「愛」と名付けたところのものです。これらは多くの場合、とても無力です。しかし争いや敵を生みません。また、多少の時間はかかっても、最後には必ずお前とお前の周りの人たちを幸せにします。
お前がすぐにこれを目指すのは難しいかもしれません。だからしばらくは「正義」を求めてもいいのです。しかし、いずれそれを求めるべき時期が来ることは、また求めることが人間として最も自然な姿であることは、今から承知しておきなさい。
お父さんの子である限り、お前には幸福になる権利と義務があります。そしてその義務は、権利の何倍も大きなものだと心得なさい。お前は“幸せになってもいい”のではありません。“幸せでなければならない”のです。これこそが、お前がその人生で実現する最も大切な義務であると知りなさい。
こう言えば、次にお前が何をお父さんに訊こうとするかは、もちろんお父さんには分かります。
―――では、そもそも“幸せ”とは何なのか―――
お前には最初から正解を教えておきます。
―――お前の心が、お前に関わるすべての物事への感謝と思いやりの念で満たされていること―――
幸福とは、そうした状態にあることです。そしてこれは多分、人間がただ一つ持つことのできる“何時でも、何処でも、誰にでも通用する真実”です。
“幸せ”とは、実は言葉で言い表すのは案外簡単なものなのです。難しいのは、それを噛み締めることです。お父さんにも、なかなかこれが出来ません。せめて一日に一回、わずかな時間でもそうした心を持てるように心掛けています。
「お父さんでも難しいのだから、自分にはもっと大変なことなのではないか」と思うでしょうか。でも、お前がそのように心配する必要はありません。「幸福」にはもう一つの姿があるからです。「幸せ」がどのようなものかを正しく知った上で、それを真っ直ぐに求めること。そのように努力することそのものが、すでに幸福な状態でもあるのです。
もちろん、そうした努力をしている最中にお前がそれを幸福として感じるのは難しいでしょう。しかし、お前の心がそれを感じていなくとも、お前のもっと深い所、例えば“魂”と呼ばれる部分は、それをきちんと感じ取り、しかも決して忘れずにいます。だから心配する必要はないのです。魂のなかに少しずつ積み重ねていけば、いつかそれは心にも表れるようになります。
“分かる”ことは、“分かろうとする”ことよりももちろん高い所にあります。しかし、“分かろうとする”ことは、実際に“分かる”ことよりも尊い行いであり得ます。だからただ真っ直ぐに求めなさい。人間の美しさは、そういう姿にもっともよく表れるものです。そしてその美しさは、お前の“正義”をもっともよく支えてくれるでしょう。
著者プロフィール
- 長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師(国語科)、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段。エッセイ・小説等でこれまで16のコンテストで受賞経験あり。座右の銘は『煩悩即菩提心』。2016年、山家神社衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「Holistic Style Book」、「やおよろず屋~日本記事絵巻」、地方スポーツ紙「上田スポーツプレス」でも活動中。右利き。
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