夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
誰もが生きることについて悩んでいます。
あなただけではないのです。
生きる価値とはなんなのでしょうか?
生きがいとは何なのでしょうか?
「本当に生きる」ということ
生きる価値とは
生きる価値とは、「本当に生きた」と実感することです。あなたは、今日一日、生きていたでしょうか?何か足りないと感じた人もいるのではないのでしょうか?
ラブリーひよこ姫
このようなものが、精神生活を支えているのです。この支えが足りなかったのです。
お金があれば、欲しいものがたくさん手に入り、幸福になれるかもしれません。だけど、お金では買えないものがあるはずです。それは、本当に生きたという実感です。欲しいものが揃えば幸せになれるのなら、「幸せになるためのアイテム」と題する本が出版されているはずです。その本には、高級車からブランド品まで、ずらっと掲載されているかもしれません。だけど、そのような本はないのです。
精神生活、つまりスピリチュアル系の本が、なぜか売れているのです。
価値のバランス
生きていると実感するアイテム、つまり価値は、おおよそ3つに分類できます。
- スピリチュアル的な物
- 精神生活を満たす物
- 衣食住や高級品などのいわゆる物質
これらのバランスが大切です。
ここで、①と②はスピリチュアル的な価値で、③は文字通り物質的な価値です。
なぞだらけのひよこ
物質的な価値観
時代によって物質の価値は変わります。スピリチュアルでは腹が満たせない、スピリチュアルよりも食べ物だという時代もあります。別の時代では、高級車に乗るのが幸せであったりします。IT時代の今は、インスタグラムの充実に幸福を見出せるかもしれません。
時代によって幸福感を満たす物質の種類は異なります。このような相対的な世界にも、共通する物があるのではないのでしょうか?
ひよこ職人
そして、この正義とは、他の人が自分と同じ状態にあるという平等のことなのです。この正義や平等というものは、一種の精神生活です。
「宗教など要らない」「スピリチュアルは妄想だ」と言う人でも、幸福感を得ることができます。実際、こういう人はたくさんいるのではないのでしょうか?このような人は、物質的な価値観だけでなく、ほんの少しだけ、精神生活とのバランスが取れているのです。また逆に、宗教やスピリチュアルが、過度の禁欲生活を強制し、貧困のドツボにはまることだってあるのです。
スピリチュアル的な価値観
スピリチュアル的な世界と物質的な世界は次元が違います。現在、「物質的な生活だけでもやっていけるじゃないか」とこれを実践されている人々もたくさんいます。「結婚なんかしなくても幸福」「一人で気ままに暮らしていたほうが楽」という考え方です。わかります。理解できます。
だけど、真実、善きもの、美しいもので心を満たそうとするとき、スピリチュアル的な次元に飛び込まないといけないのです。たとえば、恋愛、結婚、人間関係などです。
何らかの理由で、恋愛ができない、結婚ができないという人は誤解しないでほしいのですが、恋愛や結婚などの人間的な生き方を望むとき、正義や平等といった物質世界に絡んでいた、少しばかりの精神生活ではやっていけないでしょう。また、先に何らかの理由と書きましたが、この何らかの理由がどうして発生したのかを解決する時も、スピリチュアルが必要になるのです。
スピリチュアル的な生き方
恋愛や結婚、人間関係を大切にするとき、スピリチュアル的な価値観を見出すことになるでしょう。例えば、親が子を思う気持ちは、先ほど説明した平等という正義の範疇では説明できません。親が子に注いだ愛情を、平等に子が親に返すことができるでしょうか?
夫婦、親子、家族、近所などは、スピリチュアル的な共同体です。そこではお互いに与えあう愛情が、平等であることはほとんどありません。そして仕事上での人間関係も、共同で生きる糧を得ていると考えると、スピリチュアル的な共同体になりうるのかもしれません。
スピリチュアル的な共同体の中では、個人の価値観は先に説明した①~➂の価値観を大切にしなければなりません。これらの価値観は相互に絡み合い、有機的連合体を形成するようになります。けっして、物質的な価値観より精神的価値観が、精神的価値観よりスピリチュアルな価値観が勝っているというような階層を構成しているわけではありません。3つの価値観がバランスよく満たされていることが大切なのです。
エゴイズム
物質、精神、スピリチュアルの3つの価値観のバランスを崩すものとして、エゴイズムがあります。誰かがある特定の価値観を重視し、周りの人にその価値観を強制したらどうなるでしょうか?
お金がすべてであるという価値観は、資本主義社会では当然のようになっています。だけど、この価値観をすべての人に適応してしまったら、社会はもとより、家族などのスピリチュアル的な共同体も破壊されるでしょう。「あいつはお金がないから劣っている」「金持ちは優秀である」という価値観だけで、世の中が上手くいくわけがありません。同様に、恋愛だけに、権力だけに・・・というのでは、共同体は成り立ちません。
人は、人間としての本性的な普遍的側面と、個人的側面の二つを持ち、この2つの側面が互いに複雑に絡み合っています。たとえば仕事を考えると、普遍的側面では「誰もが平等に働くべきであり、働いた分だけ収入を得るべき」と考えるのが、おおよ妥当な考え方です。
これに対して、個人的側面では
酔っぱらいひよこ
と考えまますが、これもやはり妥当な考え方なのです。
個人的側面は悪であり、普遍的側面は善であると思うかもしれません。だけど、悪を行ったものが報われる時もあるのです。このように、物質的、精神的、スピリチュアル的価値観を扱う人々が、普遍的側面と個人的側面を合わせ持っているので、価値観が連続的に多様化してしまうのです。
このような多様な価値観の中で、何を心の拠り所として生きればよいのでしょうか?
それは「よく生きた」「本当に生きた事を実感できた」という満足感でしょう。真剣に生きている事を経験したときに得られる満足感の獲得です。「物質的にも、精神的にも、スピリチュアル的にも真剣に生きた」と自分自身の体験に納得することができれば、達成感と共に幸福が訪れるのです。
ニヒリズムの克服
「生きていてもいつかは死んでしまう」「今までの行動がすべて間違っていた」と感じた時、非常にむなしい境地に陥ってしまいます。また、個人的側面だけを重視し、人としての普遍的側面を無視していると、ある事件をきっかけに、普遍的側面の大切さに気がつき、今までの自分がむなしくなることもあります。生きることに意味を見失ってしまったようなむなしさをニヒリズムと言います。ニヒリズムゆえに、時として自分の命を自分で断ってしまうかもしれません。
このような価値観の転換期はよくあります。どうすれば、このようなむなしさ、ニヒリズムに打ち勝つことができるのでしょうか?
ひらめきうさぎ
たとえば、暖かい太陽の下、爽やかな森林の中で過ごしてみる事、これも本当に生きていることを経験していると言えるのではないでしょうか。太陽は誰の上にでもあります。この太陽の下で森の木々は真剣に生きているのです。このような自然から生き方を学ぶことも真に生きている体験でしょう。
効率や損得にとらわれると、
人間が小さくなる。
斎藤茂太
まとめ
「本当に生きる」ということ
あなたは、今、本当に生きていますか?真剣に生きていますか?それとも、生きていることに退屈を覚えていますか?生きることが苦しいですか?
退屈な日々、苦しい毎日を過ごしているなら、真剣に生きてみてはいかがですか?
一生は一回しかないのです。
参考:「現代にとって宗教とは」八木誠一編(日本経済新聞社)
著者プロフィール
- 理系大学を卒業し、製造業に携わっているにもかかわらず、西洋や東洋の思想に興味を持ち、コツコツと勉強しています。
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