夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
その爺ちゃんに初めて会ったのは小学校低学年の時分だった。
爺ちゃんはリンゴ畑の農道でニコニコとお茶をすすりながら幼い孫と遊んでいた。額から頭頂にかけて毛の抜け上がった頭やよく日に焼けた顔、年季の入った野良着、首に下げた手拭いに大振りのゴム長、何より額や目尻に深く畳まれた皺に何とも言えぬ味があり、そういう脂の抜けた老人がたっぷりと春の陽を浴びて、くりくり頭の幼な子と満開の林檎の花の下で戯れる素朴な姿には、見ようによっては西洋の宗教画のような奥行きと格調があり、小学生なりに曰く言い難い、侵すべからざる静謐を感じ取ったものだ。
ぶっちぎり爺ちゃん(前篇)
しかし、それにしては孫の様子が変だ。“ほのぼの”というのとはちょっと違う感じの泣き喚き方をしている。しばらく観察していて分かった。そこに宗教画の気高さを見出したのは、錯覚と言うより当時とすればやや大人びていた僕の願望だったらしい。爺ちゃんは孫と遊んでいたのでなかった。いじめて喜んでいたのだ。幼児が欲しがりそうなお菓子を目の前に投げておき、それを孫が手に取ろうとするとすかさず取り上げ、時には孫が手にしたお菓子を奪い取り、見せびらかしながら食べてしまう。結構衝撃的だったので最後まで注意して見ていたのだが、幼児を気の毒に思ったり、泣きわめくのが耳障りだと感じた周囲の大人が爺ちゃんをたしなめ、代わりにお菓子を与えてはいたものの、結局爺ちゃん自身はただの一つも孫にお菓子をやらなかった。そうしてごく機嫌よくお茶を啜っている。何とも屈託のない、実に楽しそうな笑顔だった。
谷崎(仮名)の爺ちゃんは若い頃、村で選抜されて近衛騎兵になり、曹長まで昇進した。当時としては大変な名誉だろう。その時分の写真も見せてもらったが、立派な体格で眉秀で、現在の基準で言っても結構、というより相当の男前だ。選ばれし者の栄光我にあり、といった爽やかな精気に満ちている。ソ満(ソ連・満州)国境の激戦で負傷し、傷痍軍人として帰国したとのことだが、爺ちゃんの遺した手記から場所と時期を考えると、その激戦というのが全日本兵の約3割が死傷したというノモンハン事件である可能性が高い。断定は出来ないが、もしそうだとするとナルホド、悪運の強い男のはずである。因みにこの激戦で、爺ちゃんは同郷の戦友を数名失っている。
帰国後は在郷の若者の軍事教練に当たったりしたが、その教練というのが、いかにも郷里の名誉を背負って命懸けで戦ってきた男にふさわしい、容赦のないものだったようだ。後に爺ちゃんの家に養子に入った谷崎のおじさんの話では「ここに来た当座は、地域の会合で飲む度に“オラ、おメェの親父にさんざ殴られただぞ”と、あながち冗談とも言えない恨み事を言って絡んでくる人が何人もいた」そうだ。
リンゴ農家の仕事は真面目にやったが、もちろんこの手の人物にそうそう無難な世渡りが出来るはずもない。おイタの過ぎる女遊びをやらかしたり、政治運動がらみの選挙違反でお縄になったり、檀家になっていた寺の和尚と大ゲンカして“お前が死んでも、葬式は挙げてやらんぞ!”“てめェの経で三途の川が渡れるか! おととい来やがれクソ坊主!”なんてやりとりの挙げ句、亡くなった時に本当に和尚が葬式に来なかったり(仕方なく別のお寺さんに来てもらった)と、武勇伝には事欠かぬ生涯を貫いた。
そうした事柄は無論、僕が直接見たわけではなく、つれあいの婆ちゃんやら婿に入ったおじさんやらに聞いたわけだが、二人ともおよそ“ほら吹き”からは遠く、話に尾鰭を付けたがる人達でもないので、聞いた当初は結構戸惑ったものだ。そんな勝新の“兵隊やくざ”みたいな人物が、このクラシカルで牧歌的な風景の中に本当にいるなどとは俄かに信じられなかったからだ。しかし、チャンネル争いをした末に、とても手加減しているように見えないケリを小学生の孫娘に入れるのを目の前で見るに及んで、妙に腑に落ちた。うん、この人ならやるだろう。っていうか、婆ちゃんやおじさんは、多少控え目に僕に話したに違いない。
それでも不思議なもので、養子として一番迷惑を被り、しょっちゅうケンカもしていたはずの谷崎のおじさんから爺ちゃんの本気の悪口を聞いたことは一度もない。
「まあ、ヤンチャはしたからなぁ。閻魔様にお目玉の一つ二つはもらわなきゃウソだが、俺の知ってる中であんなに純粋で素直で、人に尽くした人もいないよ」
おじさんによると和尚とのケンカというのも、寺側の要請で爺ちゃんが一肌脱ぎ、檀家に一軒一軒頭を下げて集めた金で寺の修理をしたにもかかわらず、当の和尚が真面目に勤めないのを爺ちゃんが咎めたことから起こったらしい。また派手な女遊びは確かにやったが、男前で気っ風がいいので女性の方で放っておかなかったのも事実なのだとか。まあ、この辺りは僕でも想像がつく。若い頃あれほどイケメンで、老いてもその風情をかかる存在感の上に置いている男が、女性の気を引かないわけがない。しかも、どうしようもない悪たれでありながら、少年のような純粋さと無私の精神を持っている、となれば、もう鉄板だろう。ピカレスクには違いないが、少年マンガ的モテる男の一典型であることもまた確かだ。
著者プロフィール
- 長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師(国語科)、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段。エッセイ・小説等でこれまで16のコンテストで受賞経験あり。座右の銘は『煩悩即菩提心』。2016年、山家神社衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「Holistic Style Book」、「やおよろず屋~日本記事絵巻」、地方スポーツ紙「上田スポーツプレス」でも活動中。右利き。
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