夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
そうした武勇伝の中でも特筆すべきは、爺ちゃんの肝煎りで社会会館を建ててしまった事だろう。地域の分校跡地をどうにかしたいが予算がない、という話が出た時、爺ちゃんが「俺に任せろ」と金集めを買って出たのだが、その手口というのが実に鮮やかだった。
爺ちゃんは市に掛け合ったところで引っ張れる金など多寡が知れていると見た。そこで地元の有力企業を訪ね、「あんたらの宣伝をしてやるが金を出せるか」という交渉をした。「地域に公共施設を建て、そこで注目されそうな福祉事業をやる。出資者の手柄を全部くれてやるから出すモノを出せ。ついては地域に直接金を出しても宣伝効果は薄いだろうから、まず市に預けてくれ。後はこっちで上手くやる」
ぶっちぎり爺ちゃん(後編)
結局企業は爺ちゃんの迫力に押されて8ケタ単位の金を“市の福祉充実のため”という名目で寄付。爺ちゃんは次に市長を訪ね「俺が引っ張った金だ。俺が使い方を決めても文句は無ぇな」と了解(?)を取り、本当に会館を建ててしまった。根拠はないが、もしかしたらアナーキーかつアウトローの傾きを充分に持つこの爺ちゃんの事だ。その企業の創業者とか市長の弱みの一つや二つ、握ってたんじゃないか、などと不埒な想像もしてしまう。
爺ちゃんはその後、「ハコ作ったって中身が無けりゃ、どっかのバカがやる公共事業と一緒だ」と言って、精神障害者支援活動の計画を立てた。これは計画通りには行かなかったが、いくつかの段階を経て今はデイケアセンターとなり、ちゃんと経営も安定しているという。
こうした事は他にもいくつかやっていて、例えばその辺りは急な山の斜面にリンゴ畑が広がり、その間を縫うようにして農道が走っているのだが、この農道、信州の、たかだかリンゴ畑の間を走るものとしては不釣り合いなほど広く、舗装もしっかりしている。これも爺ちゃんの仕業らしい。しかし、仕掛人が谷崎の爺ちゃんだった事を知っている人は地域にもほとんどいない。爺ちゃんは八割方コトを進めると後は他人に譲ってしまい、自分の手柄が残らないようにして、人にもそれを語らなかった。この辺り、明治期の高級軍人が持っていたダンディズムに通ずるものがある。谷崎のおじさんというのは頗る頭が良く研究熱心で、千疋屋に卸す程のリンゴを作る人なのだが、だからこそ早いうちから爺ちゃんのそういう部分を見抜き、言葉には出さずとも密かに尊敬していたようだ。
爺ちゃんは最期、急性白血病で亡くなったが、その今際の際のセリフが何ともかっ飛ばしている。入院してからは風呂に入れろだの家に帰らせろだのと駄々をこねて周りを散々困らせていたのだが、いよいよ危なくなった時、混濁した意識の中、見舞いに来た人を例の和尚とでも間違えたのか、突然体を震わせるや両手を広げて一喝。
「え~い、もうお経はやめだ!」
おじさん達は和尚の件で葬式をどうするか気を揉んでいたのだが、そのセリフで「まあ本人が言うんだから」と納得し、別のお寺さんに頼む決心をしたらしい。因みに、爺ちゃんは自分を冥土に送るお経は、尼さんに唱えてもらうんじゃなきゃイヤだ、と遺言(?)していて、これは谷崎のおじさんによって忠実に実行された。この女性に対するスケベっぷりと甘ったれぶりで人生を完結しようとする突き抜け方は、呆れるよりもむしろ感動的で、清々しくさえある。憎まれっ子もここまで来ると見事という他はない。また、そのワガママにきっちり応じたおじさんも、その懐の広さといい、見上げた漢というべきだ。
僕はこんな、己の真実を剥き出しにして人生をぶっちぎった谷崎の爺ちゃんが大好きだ。世間様の要求に身の丈を合わせて自分を適度に抑制するのもそれはそれで立派だが、荒ぶる魂を容赦なく周りに叩きつけて生き抜く豪快さにはどうしたって敵わない。最期のセリフにしても、もしかしたら爺ちゃんは和尚とのケンカを内心面白がっていたのではなかろうか。ちょうどニコニコしながら孫をいじめていたように。
谷崎のおじさんは言う。
「敵もたくさん作ったけどなぁ、あれだけ好き放題やった人間が、誰も真似できないほど人の為にも尽くしたんだ。あの爺さんが“本物”だったことは馬鹿でも分かる。あそこまで捨て身になって戦える奴ってのは、この時代にはもういないだろう」
そう言えば一時期、“ちょいワル親父”なんてのがもてはやされたが、爺ちゃんならこう言ったに違いない。
―――このタワケども! なぁ~にが“ちょいワル”だ、ケツの穴の小せぇ奴等め。しみったれた事を言ってんじゃねぇ。やるなら命懸けでやらんかい!―――
僕がいずれ冥土に行く時には、願わくば爺ちゃんと対等に渡り合える男になっていたい。まだまだ全然修行が足りないが、しっかりこの人生を駆け抜けた先で、いいケンカ相手になれれば本望だ。
爺ちゃん、せいぜい楽しみにしててくれ。
(ぶっちぎり爺ちゃん:完)
著者プロフィール
- 長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師(国語科)、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段。エッセイ・小説等でこれまで16のコンテストで受賞経験あり。座右の銘は『煩悩即菩提心』。2016年、山家神社衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「Holistic Style Book」、「やおよろず屋~日本記事絵巻」、地方スポーツ紙「上田スポーツプレス」でも活動中。右利き。
発想法2018.03.24正義のバトン(2/8:第一回Kino-Kuni文學賞佳作受賞作品)
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