夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
マルティン・ルターが『95か条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したのは1517年でした。2017年は宗教改革から、ちょうど500年になります。日本ではどうでもいいことですが、かの国々ではちょっとしたムーブメントになっています。
ところで、宗教改革はどうして起こったのでしょうか?それは、十字軍と贖宥符(免罪符)への反対です。
酔っぱらいひよこ
宗教改革者に見る「時代の波乗り」
贖宥符
贖宥符(免罪符)は、日本でいう神社のお守りやおみくじみたいに売られていました。これが政治的に利用されたのです。十字軍の軍事費を賄うため、教会は贖宥符を売り始めたのです。
カトリック教会では、『善いおこない』をした者は、死後、天国に行くことができると言われています。また、悪いことをした者は、地獄に行くのです。
が、少なくとも十字軍に従事した場合、『善きおこない』をしたとみなされ、天国に行けるとされていました。また、贖宥符を買えば、同様に天国に行けたのです。『善きおこない』も悪いこともしなかった微妙な人は、死後、煉獄という天国でも地獄でもない世界に行き、そこで『善きおこない』ができれば、天国に行けるのです。当時、死んだ者の親類が免罪符を買えば、死者は煉獄から天国に行けるとされていたのです。
安いのなら私も欲しいのですが、現在は品切れのようです。当初は安かったのですが、教会の聖堂を立てるためなどの理由で、値上げされたのです。
ジョン・ウィクリフ
ジョン・ウィクリフ(1320~1384)はイギリスの聖職者でしたが、教会の教えを徹底的に否定しました。また、チェコ語の聖書があったのに英語の聖書がないことに疑問を持ち、英語の聖書を作りました。ウィクリフは、宗教改革の先駆者と言われています。
ヤン・フス
ヤン・フス(1369~1415)は、ボヘミア出身の聖職者でした。ウィクリフの影響を受け、ローマ教皇の権威や贖宥符を否定しました。その結果、宗教裁判にかけられ、異端と判断され、火刑にされました。だけど、ヤン・フスの教えは、またたく間に欧州に広がりました。
95か条の論題
マルチィン・ルター(1483~1546)は、ドイツの聖職者でした。ルターは、『善いおこない』をすると本当に天国に行けるかどうか、悩んでいました。そしてローマ人への手紙3章28節に答えを見出したのです。
『わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである 』(ローマ人への手紙3章28節)
ころころコアラさん
ローマ教皇は、キリストの弟子が有する使徒継承権を有し、教会は口語伝承により、キリストの教えを知っていると考えられていました。これに対し、「信じるだけでよい」とか「聖書だけが神様の教えである」という考え方を福音主義といいます。
ルターは、「十字軍への参加や免罪符によっては、天国には行けない」と疑問を抱き、ウィッテンベルグの教会の壁に95個の疑問を掲示しました。実は、ルターは贖宥符の値上げの理由を知りませんでした。真面目に、カトリック教会の考え方について議論したかったのです。その証拠に、この論題は一般の人が読めないラテン語で書かれていました。今から500年前に起こった一大転機です。
ルターが95か条の論題を掲示しただけなら、気の狂った聖職者がたわごとを壁に貼っただけでした。だけど、ウィクリフやフスの思想が欧州に広がり、教会に対する不信・不満が溜まっていたのです。論題掲示は、人々から見ると教会に対する抗議だろうと推察されたのです。いわば内部告発なのです。
教会の事を決める「公会議」という会議が数回開催され、福音主義と教会との論戦の場が持たれました。が、ルターは公会議も否定してしまい、結局、教会から破門されました。
トーマス・ミンツァー(1489~1525)は、ルターの推薦で聖職者になった人です。ルター派の過激派として知られている人です。ルターが火種となった戦争で、農民側として戦いました。ミンツァーからすると、ドイツ諸侯側に味方し、暴動を鎮圧しようとするルターの行動は奇妙に映ったでしょう。ルターにより教会に意見書が出され、教会と論戦を交えようとしたが、軽くあしらわれたので、ミンツァーは暴動を起こしているのです。この暴動を鎮めようとするルターは、裏切り者以外の何物でもなかったでしょう。
ルター派教会の設立
ドイツ農民戦争時でのルターは、宗教改革派からは奇妙に見えました。
反省ひよこ
こうして、「領邦教会」というカトリック教会とは別の新しい教会が発生しました。
1529年、ドイツ帝国議会で、カトリック教会の破壊などを反省し、「ルターを支持する諸侯たちの立場とカトリック教会の立場の両方を認める」布告が発せられました。時が経つにつれ、ルターを支持する諸侯(領邦教会)は、ルター派(ルーテル教会)と呼ばれるようになりました。
スイスの宗教改革
フリードリッヒ・ツィングリ(1484~1531)は、現在の原理主義的な考え方をしました。聖書に忠実に物事を考えたのです。教会では、音楽(讃美歌というもの)が発達していましたが、聖書に楽器は出てこないとして破棄しました。本当は出てくるのですが・・・。その他、もろもろの装飾やローマ教皇を頂点としたヒエラルキーも破棄しました。先に説明したルターは、ここまで原理主義的に物事を考えなかったので、この時点でルター派とは袂を分かちました。このような原理主義が、チューリッヒでは注目され人気が出たのです。
このようにスイスのチューリッヒで、教会の改革が進んでいきました。ツィングリは、チューリッヒでの改革を森林五州(ウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州、ルツェルン州、ツーク州の5州)でも実施しようとしました。が、カトリック教会の支持が強かった洲では賛同は得られず、論争になってしまいました。当初は対話により論争の解決が試みられましたが、妥結には至らず、ついに武力衝突となってしまいました。この戦争により、ツィングリは亡くなってしまいました。
でも、スイスでの宗教改革は、ここでは終わりませんでした!
人文主義
宗教改革がおこなわれた当時、神様中心主義の教会に対し、人間を中心に考える人々が現れました。人文主義者と言われた人です。この人達はギリシャ・ローマの哲学を学び、そこに人間的な倫理を見出そうとしました。
ラブリーひよこ姫
フランス王室は、人文主義を保護していました。人文主義者が宗教改革的な思想を持ち、教会から追求された場合、王室に保護を求めることもできたのです。フランスの宗教改革者は、人文主義的な思想を持っていました。人文主義者たちは、ルターの行動を反理性的であり、徳が欠けた行動であるとみなしました。
簡単に言うと、「上品な御フランスの人々は、品のないドイツ人の真似などできるか」というものです。ラテン民族とスラブ民族の違いもあり、フランスとドイツは、いつの時代も仲が悪いのです。
モーの人々
パリの東方にモーという地域があります。宗教改革時、ギョーム・ブリソンネ(1445年~1514年〉という人が、司教の座につきました。この司教というのは、司祭(カトリック教会の神父さんのこと)を指導し監督する立場の人です。モーという地域の教会は堕落していたわけではありませんが、ブリソンネは司祭達の行動に疑問を持ち、司祭達が適格かどうかをテストしました。その結果、大量の不適格者が出てしまったのです。
不適格な人を追放することにより、ブリソンネは、優れた人文主義者たちを部下として呼び寄せることができたのです。
カトリック教会の司祭として不適格な人々か追放され、さらに反カトリック的な人々が呼び寄せられた事自体が不思議です。が、この不思議な現象をカトリック教会が黙って指をくわえて見ているわけもなく、当然のことながら彼らも弾劾されていったのです。
モーの人々は、ここで死んだり、スイスに逃亡したりしました。
ジャン・カルヴァン
モーの人々の一人であったファレルは、スイスのチューリッヒに逃亡しました。チューリッヒで宗教改革運動を進めたのです。ジャン・カルヴァン(1509年~1564年)もまた、フランスのノワイヨンで宗教改革運動をしていましたが、身の危険を感じてスイスに逃亡してきました。チューリッヒで、ファレルとカルヴァンが、偶然、出会ったのです。ファレルはカルヴァンに、チューリッヒで宗教改革をしてほしいと頼み込みました。これが、カルヴァンにとっての一大転機になったのです。
カルヴァンはチューリッヒで、規律ある教会の形成に注力しました。今までのカトリック教会のヒエラルキーを刷新し、信者の中から有能な人を長老という役職につけました。長老は、信者の手本となるべき役職であり、プロテスタントでいう牧師と同等の権威を持ちました。
こうしてチューリッヒでの宗教改革は、ツィングリからカルヴァンに受け継がれていったのです。そして、ルター派とは違う、別の新しい教会(長老派教会、改革派教会と言われる団体)が発生したのです。
哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。問題なのは世界を変えることなのである。
カール・マルクス
まとめ
宗教改革者に見る「時代の波乗り」
2017年は、宗教改革500年の年です。抗議する人という意味のプロテスタントという団体が発生した年です。宗教改革で成功した人を見ていると、丁度、時代の波に乗れた人のように見えます。ウィクリフや、ヤン・フスは、先駆的であり、時代を先取りした感ありです。時期早々だったのです。ルター、ツィングリ、カルヴァン以降の宗教改革者は、二番煎じみたいで味気ないのです。
誰でも一生に一度は一大転機というものがあり、この一大転機でうまく時代の波に乗れた者が成功するのかもしれませんね。
蛇足ですが、複雑なことは省略することも大切です。イギリスの宗教改革は複雑すぎるので省略させてください。
著者プロフィール
- 理系大学を卒業し、製造業に携わっているにもかかわらず、西洋や東洋の思想に興味を持ち、コツコツと勉強しています。
引き寄せ2017.12.25パワーストーン① 酸化ケイ素系
チャレンジド1452017.11.22自由と役割について
生と死2017.11.22「本当に生きる」ということ
悟り2017.10.30ヘルメス思想について☆引き寄せの法則の基本思想