私たちにとっての本当の師とは何でしょうか。
真に大切なことを教えてくれるもの、
真に大事なものを学ばせてくれるもの、
真に心の成長をもたらしてくれるもの。
私たちは何を通して本当に大切なことを学ぶのでしょうか。
真に重要なことを学ばせ、気づかせ、理解させてくれるものは一体なんでしょうか。
本当の師
私はこれまで多くの苦しみや悲しみを経験してきました。
人には明かせないような深い苦しみ、悲しみ、暗闘。
自身の未熟さから生まれた誤り、過ち、失敗、痛み。
そのたびに沈んでは浮かび、沈んでは浮かびを繰り返し、一つ一つ何かを学び、一つ一つ大事なことに気づき、一つ一つ心が耕されて、人としてのあり方や生き方が変わってきたように思います。
これまでの人生を振り返ってみると、自分というものを根っこから変えてくれたのは“自分自身の心”でした。
心を通して学び、理解し、気づき、変わることができた。
自分の人生に起こった苦しみや悲しみ。
自分の誤りと過ちゆえに起こった痛み。
自分自身の問題はすべて“自分の心の問題”だった。
心自身が、苦しみを作り、悲しみを作り、痛みを作ってきた。
心自身が、過ちを作り、誤りを作り、失敗を作ってきた。
自分の問題を作り上げてきたのは自分の心以外になく、その心が変わらなければ、自分の問題が終わることもなかった。
心が自分自身の問題に気づき、何が間違っていたかに気づき、原因を理解して心そのものが変化したとき、問題も自ずから消えていった。自分の問題とは、自分の心そのものだった―
心が自身の誤りに気づくためには、心自身が苦しむ必要があった。苦しまなければ気づくことさえできなかったから。
心が自分の誤り、過ちに気づくためには、自身の心を通して傷つき、苦しみ、悲しみ、壁にぶつかり、沈み、その痛みと苦悩をしっかりと感じる必要があった。
苦しんだからこそ学べたし、痛いからこそ気づけたし、前に進めなくなったからこそ立ち止まって自分と向き合うことができた。
心は、自らの痛みと苦しみを通して心自身を変えてきた。
変わるために、真に大事なものに気づくために、心は苦しみ抜く必要があった。
あなたの苦しみの多くは自ら選んだもの。
それは、あなたの内なる薬師(くすし)が、病んでいる自分を癒やそうとして飲ませる苦い薬。
だからこの薬師を信じて、黙って静かに薬を飲みなさい。
薬師の手がたとえ重く容赦なくとも、それは目に見えぬものの優しい手に導かれている。
― ハリール・ジブラン
本当に大切なことは自分の心を通して気づき、学ぶことができる。
自分の心の苦しみ、痛み、悲しみを通して。
立ち止まって自分自身を見つめ、向き合うことによって。
問題の答えはいつも自分のなかにある。
心そのものが問題を作ったのだから、その答えを知っているのもまた心。
自分の心を見つめ、理解し、気づくことで、心は自ずから答えを出す。
答えとは自分の外に探し求めるものではなく、自分の心の中で見つけるもの。
探すべきもの、見つけるべきものはいつだって自分の中にある。
グレート・スピリットであるワカンタンカは、6つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決められていない方角が残されていた。この7番目の方角は、すべてのなかでもっとも力にあふれ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレート・スピリットであるワカンタンカは、それをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは、人間がものを探すときにいちばん最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというと、ひとりひとりの心のなかだったという話だ。
― ケヴィン・ロック(ラコタ族伝承の語り手)
心そのものが、気づかせてくれる。
心そのものが、答えを教えてくれる。
心そのものが、学びと智恵を与えてくれる。
心そのものが、変化を生み出してくれる。
人間を形作るものは、その人の心。
心がその人という人間を作り上げる。
私たちの本当の師とは、私たち自身の心。
心が教えてくれる。
心が導いてくれる。
心が智恵と成長をもたらしてくれる。
自分の心こそ、本当の師。
心は何かを教えるために、伝えるために、気づかせるために、時に私たちに苦しみを与え、痛みを与え、悲しみを与える。
それは愛のある鞭であり、心を耕すための試練。
自分の問題を解決するには、自分の心を知るしかない。
自分の心を知るには、自分自身を見つめるしかない。
自分の心を見つめること、自分自身を見つめることは、ほかの誰でもない自分自身から始められること。
自分の心を知ること、自分自身を知ることに、外の誰かに頼る必要はなく、今ここから自分だけで始められること。
誰かに教えを乞う必要も、本の教えや他者の言葉に従う必要も、別の何かに寄りかかる必要もない。
自分を見つめ、自分を知ることは自力でできること。むしろそれは自分でしなければならないこと。他人任せではなく。自分の心のことは他者には分からないから。
自分の心を本当に理解できるのは、自分自身だけ。
どこか別のところに師がいるわけではない。もし学ぼうとするなら、あなた自身が師であり、あなた自身が弟子である。
― J.クリシュナムルティ
相争う哲学的見解を超え、決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。
― 仏陀
喜びも、幸せも、自由も、すべて自分の心次第。
苦しみも、悲しみも、迷いも、葛藤も、自分の心が作り出しているもの。
それを理解し、終わらせるのも自分自身。
自分自身を学ばなければ、何も変わらない。
問題の根は自分自身(その心)にあるのだから、自分自身を見つめ、己の心を知ることこそ本当の学び。
自分の心を本当に知ることができるのは自分だけ。
自分の心を本当に変えることができるのも自分だけ。
人生を変えるのは他者ではなく、自分自身。
すべては自分の心。
自己にとって光りであるとは、他人の光りがどんなに筋が通っていようが、論理的であろうが、歴史の裏づけを持っていようが、自信に満ちていようが、けっして追従しないということだ。もしあなたが、権威、教義、結論といったものの暗い陰の下にあれば、自分自身の光りであることはできない。
自由とは、あなたが自分自身にとって光りになることだ。方法とか、体系、修練といったものなど、なにもない。見ることだけがあり、それが行為することだ。ただし他人の目を通してではなく。この光り、この法は、あなたのものでも他人のものでもない。ただ光りがあるだけだ。これが愛だ。
― J.クリシュナムルティ
光とは、自分自身。
自分自身こそが自分に光をもたらす師であるということ。
自分自身を見つめ、学び、気づき、理解し、超え、変わっていく―
その生の動き、生のエネルギー自体が光であるということ。
心は光と闇の両方を持つ。
自らの闇を理解し、闇を超えれば、それは自ずと光に変わる。
闇に落ちてしまうのが心であるように、光に導いてくれるのもまた心。
光をもたらすのは他者ではなく、自分自身。
私たちにできることは、自分を通して自分を学ぶこと。
自分の心を通して自分の心を理解すること。
心に気づき、心に学び、心を理解すれば、人生も変わる。
心こそ、人生の景色を変えるもの。
光は求めるものでも、望むものでも、目指すものでもない。
光は、今ここに、自分自身の学びと気づきのうちにある。
ほかの誰かではなく、今ここに生きている自分自身のうちに。
学びは、今ここから。
今ここにある、今ここに生きている自分自身から。
本当の師―それは自分自身。
著者プロフィール
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10代の頃から人には言えない多くの苦しみを経験してきました。20代半ば、自身の人生の虚しさから生きる意味や価値をやみくもに追い求めて失敗。その大きな失敗は精神的な危機をもたらしました。その後、失敗や苦しみの経験を糧に自身の生き方を改めてきました。
「苦悩は魂を根源的に変える」。今はそう強く感じます。
現在、雪の多い北国の田舎でライターの仕事をしつつ、畑で野菜作りをし、自然の中で瞑想し、カラスたちと戯れ、家で古今東西の本を読み・・・そんな日々を送っています。自身の弱さや未熟さを自覚し、学びつつある毎日です。
野菜作りは川口由一さん流の自然農を実践しています。
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