夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
僕はクリスチャンではないが、キリストと呼ばれたナザレのイエスが大好きである。彼はギリシャの哲人ソクラテス、儒教の開祖孔子、仏教の開祖ブッダといった人たち同様に、自分が生きた時代や状況に広まっていた考え方・常識に、コペルニクス的転換(天動説を地動説で覆すほどの逆転)を施した人であるが、その鮮やかさ・力強さという点では群を抜いている。
【セイント・フォー】迷惑な人々☆仏陀とイエスと孔子とソクラテス
たとえば、孔子は論語の中で「己の欲せざるところを人に施す勿れ」(自分がして欲しくないことは他人にもしてはならない)といい、イエスは福音書の中で「あなたが人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ」という。これは“他者への思いやり”という一枚のコインの両面を、それぞれ「仁」「愛」として語った言葉の違いと受け止めることができるだろう。しかし考えようによっては、七十過ぎまで世間と格闘しなければならなかった老人と、三十代前半で華々しく“戦死”を遂げることのできた青年との違いともいえそうである。
「自分の望むことを他人にしてあげなさい」という場合、その主体がいわゆるノーマルな人物であれば、何ら問題ない。しかし、たとえば極端なマゾヒストが、自分が快感に感ずることを他人にもしてあげよう、となったら大変なことになる。他者への思いやりは、それを能動的に表現しようとすると、場合によっては相手の平穏な日常を破壊する危険がある。その意味からいえば、孔子の「人からして欲しくないことを人にしてはいけない」という言い方は、いかにも無難である。少なくとも、他人に損害は与えない。七十年を生きた老人の、知恵の深さというものだろう。
が、必ずしも孔子の方が優れているともいえまい。孔子方式は、他者の生活の破壊や争いを生むことはない代わりに、世界を変える力をもたない。イエス方式ではリスクはあるものの、何かを変えていく力、何かを生みだすエネルギーはある。若くして信念に殉じた人間だけがもつ、開き直った強さに満ちている分だけ、メッセージがパンクなのだ。
福音書の中に見られるイエスの言葉の中で、僕が特に衝撃を受けた二つの言葉を紹介しよう。一つはルカの福音書で描かれる、十字架上でのセリフだ。
ゴルゴダの丘でイエスが磔刑(はりつけの刑)に処せられる際、その左右で彼と同様に十字架に架けられた罪人の一方が、その耐えがたい苦悶の中でイエスに罵りの言葉を投げつけるシーンがある。
「お前は神の子で、救世主なんだろ。だったら自分を救って、俺たちも救ってみせろ」
すると、もう一方の罪人が、その言葉をたしなめる。
「お前は神を恐れないのか。俺たちは自分でしでかした罪の報いを受けているんだから、こうなるのは当然だ。でも、この人は何も悪いことはしちゃいない」
そしてイエスに顔を向けていう。
「イエスよ、あんたが王としてまたやって来るときには、どうか俺のことを思いだしてください」
このセリフに答えたイエスの言葉がこれだ。
「あなたによくいっておく。あなたは今、私と共にパラダイスにいるのだ」
“最も残忍で屈辱的な苦痛に満ちた十字架の上にも、真に悔い改めた者には神の国が実現する”
イエスの成したコペルニクス的転換ということでは、「心の貧しき者たちは幸いである」からはじまる、いわゆる“山上の垂訓”が有名だが、僕はこの十字架上の言葉の方が好きだ。彼が説いた「神の国」がいかなるものであるかをこれほど鋭く、かつ端的にいい表した言葉は他にない。しかも、強い。「心の貧しき者たちは幸いである。天国は彼らのものである」という言葉にも確かにきらめきがあるが、衝撃的ではあっても、その内容を理解し共感できた人間がどれだけいるかとなると、少なからず疑問が残る。しかし、この十字架上の言葉を同じ状況下でいわれれば、救われない人間など一人もいないだろう。“ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター”の面目躍如たるところだ。
もう一つの言葉は、ヨハネの福音書に登場する復活後のイエスが、十二使徒の一人、トマスに向って述べたセリフである。
磔刑の三日後によみがえったイエスは、マグダラのマリアや弟子たちにその姿を現すが、その場にいなかったトマスは、師の復活を説く仲間たちの言葉を信じようとしない。ついには「私は師の手に釘あとを見てその傷に私の指を差し入れ、また私の手を師の脇腹の傷に差し入れてみないうちは決して信じない」と無茶苦茶なことをいいだす。その八日後、イエスが弟子たちの前に現れ、トマスに声をかける。「そなたの指をここにつけて、私の手を見よ。手を伸ばし、この腋の傷に差し入れてみよ。信じない者とならずに、信じる者となれ」。トマスは師の言葉通り、傷口に指を突っ込むというややスプラッタな確認をし、遂に「ああ、我が主よ。我が神よ」と師の復活を認めた。その彼に対して向けたのが、つぎの言葉だ。
「そなたは私を見たので信じたのか。見ずに信じる者となれ」
・・・途轍もないセリフである。トマスの無茶っぷりも半端ではないが、イエスのパンクっぷりはその比ではない。
僕はプロテスタント系の保育園に通っていたので、この言葉自体は幼いころから知っていた。当時はごく素直に「神様を信じるとはそういうことか」と納得したし、この時のトマスの衝撃を想像し、その感動的な光景にロマンを抱いたものだ。が、長じてからこのセリフを思いだした時には、別の衝撃を受けた。
「イエスとは、何て迷惑な人なんだろう」
相手を確認せずに信用する、ということをこの世知辛い時代に実行したら、すぐに詐欺師どもに食い散らされて、すってんてんとなるに決まっているではないか。
しかし、もっとタチが悪いのは、この言葉があながち、非合理的とばかりもいえない点である。たとえばキリスト教では、死後、神の国に入ることに至上の価値をおく。仏教では悟りを開くことがそれに該当するが、悟りを得るにあたっては、その導き手であるブッダに出遭わなければならず、そのチャンスは永遠の輪廻(生まれ変わり・転生の繰り返し)においてごくごく稀なものだ、と説かれる。そうした価値観からすれば、九十九回騙されても、一回“本物”を拾って神の国や悟りに至れるのであれば、充分ソロバンに引き合う。神仏のソロバンをもっている者にとっては、まったく合理的な判断なのであって、九十九回騙されるくらいどうってことない、という恐ろしく豪快な居直りが可能となるのである。
だが、市井において、目の前の現実に実直に取り組んでいる多くの人間は、こんな特殊なソロバンなどもっていないし、もちようもない。仮に、豪快に居直ったところで、九十九回騙される中の一回が、オ○ム真○教だったりするのだ。騙される当の本人はいいが、周囲の人々にとってこれほどの迷惑はない。“隣人愛”どころの騒ぎではないのである。
「その辺って、どうなの?」
と僕なら訊いてしまうが、たぶん、イエスの答えはこうだろう。
「お前のような者が天の国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」
僕にとって甚だ厄介なのは、この理不尽極まりない答えが、その通り、正しい、ということを僕自身がわかってしまっているということだ。魂の革命というのは、こうした抜き差しならない理不尽を突き抜けた向こう側に展開される。必要なのは、それをぶち抜くパンクなエネルギーだけなのであって、合理的判断や良識ではない。世にいう“聖人”とは、ことほど左様に迷惑な連中なのである。
思うに、冒頭で述べた四人の聖人たち(ソクラテス・孔子・ブッダ・イエス)が、その生涯において必ずしも世の人々に受け入れられなかったのは、この度を超えた迷惑っぷりのせいだろう。彼らを歴史上の偉人として俯瞰する視点をもてる、現在の我々がタイムスリップできるなら、現役当時の彼らの支持者となることは容易である。もし僕が、現在の視点を保ったまま二千五百年前の中国や北インド、あるいは二千年前のイスラエルにタイムスリップするのなら、孔子やブッダ、あるいはイエスの最もぐうたらな弟子の一人となることにさほどの躊躇は覚えない。 ―――ちなみに、ソクラテスだけは御免だ。この人は第三者として遠くから眺めている分には非常に面白いが、第二者として関わるには面倒臭すぎる。また、思考・探究する主体としての在り方が峻烈すぎて、他者を容れるというよりは、相手の方に彼を受容する懐の深さを要求してくる人だ。兄貴や親分として、慕えるタイプの人物ではない。周りが世話を焼かなければどうにもならない赤ちゃんみたいな奴である点では、四人の中で最もチャーミングだともいえるが、ここまで性能・仕様の高い赤ちゃんの世話など、僕は考えただけでうんざりする――― しかし、そうした視点をもちようのない同時代人が彼らを受け入れるには、それこそ“清水の舞台から飛び降りる”くらいの跳躍が必要だったはずである。
これは当然だ。そもそも、千年単位で語り継がれるレボリューションを成し遂げた人間のエネルギーが、無難なものであったはずがない。それこそ人間離れした、というより化け物じみた破壊力の塊であったに違いなく、こういう人間の存在が、ごく普通の人間たちにとって有難いはずがないのだ。またレボリューションというからには、新しい何かを提示する前提として、既存の、その時代のその社会の人々が一般的基準として共有していた何物かを躊躇なくぶっ壊すことがどうしても必要である。とすれば、これらの人々はつくり手である前に、破壊者なのだ。世の中と衝突しないわけがない。
こうした“やり過ぎる”存在は、最終的に差引勘定を求められる宿命を負う。この辺りの消息は、ソクラテス、イエスにおいて甚だしい。ソクラテスという人は、恐ろしく頭が回り、しかも弁の立つ酔っ払いを想像するとわかりやすい。多少なりとも己の知性に矜持をもっていそうな者をみつけると、この酔っぱらいが近づいてきて、しつこく絡みだすのだ。「お前さんは自分を頭のよい人間だと思ってるらしいが、結局のところは何もわかっちゃいないのだ」ということを、相手が“もうわかりましたから、勘弁してください”というまで絶対に止めない。しかも、恐ろしく弁が立つので、どうやっても論破できない。こんなに迷惑で面倒臭い酔っ払いがいるだろうか?ここまでやりすぎた結果が、毒盃による自死という彼の最期にみごとに結びついている。
イエスの場合は、もっと極端だ。ソクラテス・孔子・ブッダという人々は、常人離れした信念のもち主であったのは確かだが、時と場合によっては、自分の思考や行動に懐疑をもち得た人たちでもある。しかるにイエスにだけは、この懐疑がカケラもない。自らを「神の子」と公言して憚らなかったくらいなのだから当然といえば当然だが、精神科医が治療対象にしたくなるほどのこの懐疑のなさは強い。ほとんど無敵である。が、強すぎた。その結果が十字架刑という、ソクラテスよりはるかに凄惨な最期になるのだが、この人が厄介なのは先に述べたように、その十字架上でも神の国を説き切ったことだ。まったく懲りていない。翻っていえば、最後まで最強を貫いたところに、この人の開き直った栄光があるともいえそうである。
そうした点からいえば、ブッダは一般社会への対処の仕方が非常に上手い人だった。己の志を完遂し、かつ天寿を全うしえたのは、セイント・フォー(四人の聖人)の中で、彼ただ一人。つまり、差引勘定を免れた唯一の人である。彼の俗世とのつきあい方というのは、老練のアウトボクサー(足を使って相手から離れて戦うタイプのボクサー)の試合運びを見ているようだ。ヒット・アンド・アウェイが実に巧みなのである。彼がこれを成し得たのは、彼だけが“諦め”を積極的な武器として、戦略的・戦術的に使用できたからだろう。孔子も「人知らずして慍みず」(人が自分の実力を認めてくれなくとも気にかけない)という具合に“諦める”という選択肢をもっていた人だが、ブッダと較べると受動的・結果的な選択であって、戦略性に乏しい。ボクシングのたとえでいうなら、孔子はインファイター(相手と近距離で打ち合うタイプのボクサー)から抜け切れていない。足を止めて打ち合ってしまうので、相手を引き込む力が弱いのだ。ブッダは打った後、すぐに相手から離れる。だから、相手が追ってくるのである。
孔子はそれまで中国大陸に堆積していた道徳・倫理の地層を掘り返し、その土で堅牢な殿堂を建てた人だ。なかったものを新たに生みだしたわけではないという点では、セイント・フォーの中でレボリューションの絶対値が、相対的に小さい人ではある。これは裏からみれば最も良識のあった人だといえるし、だからこそ天寿を全うできたのだが、その彼でさえ、自分の在世中には志を完遂できなかった。その意味では、ソクラテス、イエスとは違った形で差引勘定を求められた人である。彼は、ブッダとほぼ同時代を生きた人だという。もし、両者が何らかの接点をもち、ブッダが孔子にアウトボクシングを教えていたら、あるいは差引勘定を免れたかもしれない。ただし、彼がブッダほどスマートでなく、不器用であったが故に志を完遂できなかったというまさにその点において、ブッダがもち得なかった魅力を生き生きと伝えていることは、後世の我々が汲むべき点だろう。
孔子という人については、今少し論じておきたい。人間的度量の広さ、懐の深さということでは、セイント・フォーの中ではこの人がナンバーワンだろう。また「教育者」という尺度を用いるなら、彼の出現は、セイント・フォーの中でというよりも、人類史上の奇跡といっても言い過ぎではない。
ブッダ・イエスにも優れた教育者としての側面があるが、彼らの教育は、相手をある特定の場所や境地に至らしめるという体のものであり、このやり方はある程度のマニュアル化にいきつく。そのため、その目的地への志向に関係のない夾雑物(個性といい換えてもいいが)は、時に“悪”として捨象(切り捨てること)される。この捨象はしばしば嵩にかかった厳しさでなされることがあり、やられる方にとっては非常に辛い。この点、孔子はマニュアルを一切つくることなく、百人いれば百通りの方向(無論、共通点はあるが)を示してやり、相手の個性をむしろ奇貨(珍しく役に立つ資質)として、積極的に人格の中に回収してやることができた。二十一世紀の今日、“個性を尊重する教育”を模索する中で、我々は子どもたちそれぞれの個性を、ある程度受け止める訓練はできつつある。しかし、決定的に足りないのは、百人の子どもたちに百通りのビジョンを示してやる力と方法である。孔子には、これができた。翻っていえば、二千五百年後の我々が束になってかかっても、孔子一人に遠く及ばないのである。
また孔子は、どんな人間相手にもこれができたし、やろうともした。ブッダも、相手の様々な能力段階に応じて導く「対機説法」という特技をもっていたが、ついてこられない者についてはドライに諦めた。イエスの場合は一定の資質のもち主でなければ、最初から弟子(使徒という意味での)にしていない。やはり教育者という点では、孔子の方が一枚も二枚も上手である。
ちなみにソクラテスは、そもそも教育者と呼ぶのに疑問が生じる人物だ。あの厄介な赤ちゃんは、結果的には他人を育てたようにみえるが、そういう殊勝な心がけが本当にあったかどうか極めて疑わしい。彼の元から、プラトンをはじめとして“超”のつく優秀な人材が育ったのは確かだ。しかしあくまで“育った”のであって、“育てた”のではない、といいたくなるのは僕だけだろうか。問答によって相手に新たな概念を生ぜしめるという、彼が得意とした“産婆術”も、相手への教育というよりは、自分の探求に他者を必要とし、その結果ダシにされた相手の境地が強制的に引き上げられてしまったというのがことの真相だ、と僕ならいいたくなる。
孔子の教育で特徴的だったのは、“双方向性”である。弟子によって師の自分が触発され高められるという、逆のベクトルを最初から想定していた。この下からのベクトルにかぎっていうなら、ソクラテスももっている。というより、そっちのベクトルしかない。自分が高まるためにはどんな奴でも利用するという、無邪気さゆえの容赦のなさ、見境のなさ、さらにいうなら節操のなさは、いわば一筋の竜巻である。己が天に昇らんとして起こした旋風によって、近くにいた者が不可抗力的に巻き上げられたようなものだ。ただし、通常の“教育者”の概念にとって自明である下方へのベクトルをまるでもち合わせていない者が、プラトンという天才を世に送りだしたという点は、評価しないわけにはいかない。そして、この評価を積極的に認めるなら、逆説的な意味で、ソクラテスが文字通り“不世出の”教育者だったという言い方もあるいは可能だろう。
さて、孔子という人の不思議さは、教育者としては他者に対して“清濁併せ呑む”底の知れない大度量をもっていたにもかかわらず、彼が畢生(一生・終生)の志としていた政治の分野では、自他に毛ほどの妥協も許さなかったところにある。教育者としての彼と、政治家としての彼は、まるで別の人格をみているようだ。
中国大陸では古来より、今日的な感覚でいう汚職や賄賂の類が、ほとんど政治的生理として存在する。こうした力学に馴染み、これを賢く御すということが有能な政治家に求められる必須能力であり、またそうしなければ何事も回っていかないのであるが、孔子は自らの理想に基づいて、これを一掃しようとした。古代中国的常識に従えば、この手の“うるさい”人物はすぐに自滅するのが普通だが、彼の化け物じみた情熱と桁外れの実務担当能力は、次々に改革の実をあげてしまう。彼はその手腕で国庫を富ませ、有能な人材を引き上げ、無能・不正の同僚を容赦なく糾弾し、隣国からの脅威を一蹴する。だが、やりすぎた。旧来の暖衣飽食に慣れ切っていた貴族たちにとって、彼らの既得権を誰にも文句のつけられない形で脅かす孔子のような人物は、迷惑以外の何ものでもない。また、王である自分と血縁関係で結ばれたそれらの貴族たちから、ことあるごとに讒言を聞かされる君主にしても、事情は同じだろう。王である自分よりも圧倒的に政治力があり、民衆の絶大な信頼を得、若く有能な家臣たちの尊敬を一身に浴びる一閣僚が、その功績に見合うような報酬をさして求めるでもなく、実に恭しい態度で己の前に静かに蹲っているのだ。これを素直に喜べる君主など、そうはいないだろう。不気味を通り越して、恐怖だったに違いない。一つや二つ、“自分にご褒美”的なお茶目をやらかしてくれる方が、余程安心できるというものだ。
思うに、ここが孔子の限界だったのかもしれない。非の打ちどころのない完全無欠の状態で他者に臨んだとき、その相手にいかなる心理的影響を及ぼすか、という一項を彼ほどの人間理解をもち得た者が理解していなかったとしたら、皮肉というほかない。相手に対して隙をみせないという態度は、相手にとっては自分への警戒心のあらわれ以外の何ものでもない、というごく単純なことを、孔子程の人物がわかっていなかったのではあるまいか。
もしかしたらこれは、彼の弟子たちがあまりに優秀だったからかもしれない。彼には、たとえば世俗的・実際的な意味でほぼ完全無欠の人間といえた子貢、“徳”という形而上的(観念的)な意味で同様だった顔回という突出した弟子がおり、その他にもこの二人に準ずる者がざらにいた。孔子はこれらの弟子たちと、考えられるかぎりの理想的な師弟関係を築き、彼らを導くだけでなく彼らからの啓発も享受して互いに高め合うという、極めて生産的な営みを日常的に行っている。つまり僕のごとき凡俗からみれば完全無欠としかいいようのないレベルの人間に慣れており、また自らも彼らに対してそのように臨むことが普通のことになっていた。それが落とし穴だったのかもしれない。弟子の子貢・顔回らには、人間的にも能力的にもはるかに及ばない彼の主君にとって、彼・孔子のような日常的尺度を振り切った人間に、完全無欠の一分の隙もない態度で目の前に立たれることが、どれほどの心理的屈折をもたらすか、いい換えればどれだけ迷惑かということに、ついに気づけなかったのではなかろうか。相手が一番してほしくない、しかもそれをはっきりとは口にだせないことをやりつづけてしまった結果が、事実上の追放処分となってしまったと考えれば、一応の辻褄は合う。
ただし、孔子のこの迷惑っぷりは、ソクラテス、ブッダ、イエスのそれとは質的に違うということは弁じておきたい。孔子を除く三人の迷惑っぷりは、いつの時代のどの社会でも「通用」するものだ。つまり、極めて普遍性が高い(もちろん悪い意味で)。しかし、孔子のその面については、今日の民主主義社会では、決して迷惑とはならないだろう。もし彼が、二千五百年後のこの世界にタイムスリップできるなら、ごく特殊な一部の国や地域を除いて、超一流の政治家あるいは実務家としてその手腕を存分に揮えるに違いない。言い方を変えれば、彼は生まれる時代を二千年以上間違えた。このスケールのデカい間違えっぷりも、また実に彼らしいではないか。
さて、ブッダが俗世との距離のとり方において非常にテクニカルだったことは先に述べたが、間違ってはいけないのは、必ずしも最初からそういう人だったわけではないということだ。というより、迷惑という点では、これほど迷惑なことをした人もいない。
彼がシャカ国の王子として生まれ、何不自由なく育ちながら、この世の実相に懐疑を抱き、人生に対して哲学的に懊悩し、ついにすべてをなげうって出家する、というのは非常にドラマチックなストーリーである。これほどロマンチックで美しい物語もないだろう。彼が出城を決意するに至る苦悩の深さ・純粋さ、またその普遍的価値の高さを、僕はまったく疑わない。あくまで想像の域をでないが、彼の苦悩を想像するたびに、涙がでるほどである。が、同時に、こう考えてしまうのもまた事実だ。
「何て迷惑な奴なんだ」
妻子をすてて出家する、と簡単にいうが、すてられる方はたまったものではない。ましてや王族なのである。庶民の亭主がやけを起こして家出し、残った家族が村中の笑いものになるのとはわけが違うのだ。国際的な(当時の北インド諸国にとっての)スキャンダルを捲き起こし、民族全体の顔に泥を投げつける、というレベルの話のはずである。
また、彼の出家はシャカ国の存亡そのものを危うくしたはずだ。彼はこの手の伝記の御多分に漏れず、様々な能力値の高い、非常に優秀な人だったとされるが、実際にそういう人だったと思われる。少なくとも政治的手腕という点では、非凡な才能をもっていた。「大般涅槃経」には、彼がその晩節に、当時の北インド最強国家:マガダ国の国王アジャータシャトルをして商業都市国家:ヴァイシャリー攻略を思いとどまらせるシーンがあるが、この時の問答と振る舞いは、水際立った実に見事なものだ。また彼は、最強国マガダの首都ラージャガハに竹林精舎、そのライバル国コーサラの首都シュラーバスティーに、祇園精舎という二大拠点をおき、そこから周辺の小国家へ布教の旅にでるということをしていたが、その動きを観察すると、人々の自分への宗教的尊崇を利用して、北インド諸国の勢力的・政治的均衡を図っていたようなフシがみてとれる。もちろんこれは、国々の間に争いを生まないという、純粋かつハイレベルな慈悲の念からのものだろう。己を利する類のものでないことは無論だが、この想像が当たっているなら、自分の宗教的価値を冷静に認識した上で、これを極めて効果的に政治利用したという点で、相当なヤリ手であることは確かだ。彼が生まれた時のアシタ仙人の予言「この王子は世界の大王か、ブッダのいずれかになるだろう」というのはいくらなんでも言い過ぎだと思うが、政治手腕という点で彼の右にでるのは、孔子くらいのものである。ソクラテスやイエスでは、絶対無理だ。
ちなみに政治的才能という話になれば、イスラム教の開祖・預言者ムハンマドについても一緒に語りたくなるのだが、これは少々無理があるだろう。セイント・フォーは程度の差はあれ、“浮世離れしている”という動かしがたい共通項をもつ人々であるが、預言者ムハンマドには、これが当てはまらない。この人は浮世から離れるというよりも、浮世そのものを自らの手で拵えあげるという離れ業をやってのけたのだ。こればかりは、セイント・フォーが束になっても及ばない、というより、この四人では発想すらできない(孔子にはその資質だけはあっただろうが)ところのものである。ようするに、基準が違いすぎていて、同じモノサシを当てられないのだ。
寄り道してしまったが、ブッダは、王位継承者として申し分のない能力を備えた人だった。隣接する強大国コーサラの実質的な属国の地位に甘んじ、隣国からのプレッシャーに常に脅かされていた弱小シャカ国の王である彼の父スッドーダナや、シャカ族の主だった人々は、当然彼に相当な期待を寄せ、王位継承の準備を進めていたはずである。権力移譲がスムーズに行われるよう、複数の権限を前もって彼に集中させておく、あるいは国政の重要な部分を予め担当させておく、というようなことももちろんやっていただろう。そしてその前提には、様々な力学や駆け引き、またこうしたことにはつきものの、えげつない権謀術数が少なからずあったはずだ。ところが戴冠を控えたいよいよの段階になって、この人はいきなりうっちゃりをぶちかますのである。無理を通して道理を引っ込める類の苦心の末に集中させていた力の中心が、突然真空になってしまうのだ。死なれた、というなら別段珍しい話ではないし諦めもつきそうなものだが、もちろん彼はそうではない。期待が大きかった分、それが失われた時の空白やダメージも大きかったに違いなく、その混乱の深刻さは想像するにあまりある。これほど理不尽に招来される国家存亡の危機も珍しい。
さらに迷惑なことには、ブッダがやらかしたのはこれにとどまらない。というより、この後の方が数段タチが悪い。彼は悟りを開いた後、一時故国に戻るのであるが、この時に、シャカ族の若者の中でも特に優秀なメンバーを、ごっそりヘッドハンティングしてしまうのである。これは、彼が開いた原始仏教教団にとっては、非常に画期的な出来事となったはずだ。ある意味で、仏教が世界宗教へと発展する基礎は、この時に固まったともいえる。開祖の為人への理解、また尊敬の念を、前提条件としてごく自然な形でもっている上流階級出身の極めて優秀な人材が、大量に入ってきたのだ。組織の強化・発展を図る上で、これほど心強いことはなかっただろう。
だがこのエピソードは、シャカ族にとっては、将来国政を担当し得る有為の人材の大量損失以外の何物でもない。ブッダの晩年、シャカ国はついにコーサラ国に侵略されて滅亡するのであるが、その最大の要因をもたらしたのが彼の大量スカウトだったことを否定し得る証拠は、少なくとも僕には見出せないのである。
二千五百年後の日本という豊富な時空の隔たりを資源にできる我々にとっては、ヒンダスタン平原の北辺で細々とその活動を営んでいた少数部族の命脈をたかだか二~三百年永らえさせるよりも、千年単位でグローバルに展開できる魂の営みをつくってくれた方が余程大きな価値をもつ。しかし当のシャカ族の人々にとって、これほど乱暴な言い方もあるまい。いくら世界史上の偉人であるブッダでも、さすがに「やりすぎちゃった。てへっ♡」といって頭を掻いていればすむという話ではないだろう。
ごく正直にいうなら、僕はセイント・フォーの中ではブッダが一番好きだし、僕自身が属している文化的背景と照らし合わせてみても、彼が提示した世界観が最も入っていきやすいのだが、話をスカウトの手腕にかぎるのなら、むしろイエスを支持したくなる。
効率ということであれば、イエスの一本釣りよりもブッダの投網方式の方が優れているのだろう。ただし、ブッダには自分の魅力をみせつけるだけみせつけておいて、「あとは自分で決めなさい」と突き放すタチの悪さがある。それに比べれば、ペテロとアンデレにかけた「お前たちを人間を捕る漁師にしてやろう」という粋なセリフにはじまり、取税人マタイを、本人がその理由を理解しかねる突拍子のなさで召命してみせるイエスのスカウトには、春風のような爽やかさがある。スタイリッシュなサプライズが小気味よく利いていて、まことに印象が深い。スカウトされる側からすれば、I want you!とにこやかに両手を広げてくれるイエスの方が、少なくとも態度として誠実だとはいえる。個人的な総合評価ではブッダを最上位におく僕でも、もしブッダ・イエスの両人から同時にスカウトされるなら、勢いでイエスを選んでしまうかもしれない。先述したように、イエスの「愛」には危うさもあるが、孔子の「仁」、ブッダの「慈悲」より積極性が強いということのよい面が、こんなところにも現れるのだろう。
以上述べたように、“聖人”と呼ばれる人物というのは、例外なくいびつで、極端に厄介で、とんでもなく迷惑な人々である。このことを認識の基礎においていないと、彼らの真の姿を決定的に見誤る。彼らが偉大な業績を成したことは疑いようのない事実だが、日常的な意味での“立派な人物”像は、端から期待できないことなのだ。ここがわかっていないと、我々と同時代か少し先の未来に、彼らに匹敵する人物が出現した時、我々はその人物にひたすら受難を強いるばかりで(無論、これに耐えることは聖人に必ず課せられる宿命であり、重要な義務でもあるのだが)、しかるべきポジションを最後まで与えてやれずに終わるだろう。
また僕が彼らの迷惑っぷりを殊更にいい立てるのは、ここを踏まえていないと彼らの本当の魅力にも気づけないからである。彼らのいびつさ、厄介さ、迷惑さをずっしりと肚の底に沈めたうえで、たとえば「パイドン」「ソクラテスの弁明」、「論語」「孔子家語」、「スッタニパータ」「ダンマパダ」等の初期仏教経典、「新約聖書」を読んでみてほしい。彼らがいかに瑞々しい人間的魅力に満ち溢れた人々であったのかが、確かな実感として伝わってくるはずだ。そしてその実感から立ち昇ってくる彼らのスケールの圧倒的デカさに、手放しで感動してほしい。
現代は、これまでのどの歴史時代に比しても、極めて物事の文目がみえにくくなっている時代である。だからこそ、彼らの如き愛すべき人々への腰の据わった感受性を保ちつづけることには、僕らが自覚する以上に大きな意味と価値があるかもしれない。僕らがそうした努力をすることは、後世の人間たちにとって、必ず有用な何事かになると思うのだ。
著者プロフィール
- 長野県上田市出身。明治大学文学部卒。予備校講師(国語科)、カイロプラクター、派遣会社の営業担当等を経て、予備校講師として復帰。三児の父。居合道五段。エッセイ・小説等でこれまで16のコンテストで受賞経験あり。座右の銘は『煩悩即菩提心』。2016年、山家神社衛士(宮侍)を拝命。WEBサイト「Holistic Style Book」、「やおよろず屋~日本記事絵巻」、地方スポーツ紙「上田スポーツプレス」でも活動中。右利き。
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