夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
ニューソート派は、どのようにして発生したのでしょうか?
18世紀にスウェーデンの科学者であり神学者であったエマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772)は、ユニークで神秘的な聖書解釈をおこないました。これを、スウェーデンボルグ主義といいます。スウェーデンボルグ主義とは、どのような教えだったのでしょうか?
今回はその前に、正式なキリスト教の教理からお話しします。そもそもキリスト教は、どれが正統なのでしょうか?キリスト教には、カトリック、オーソドックス、様々なプロテスタントがあります。ここでは、セルベトゥスを火あぶりにしたジャン・カルヴァンがはじめた、改革派・長老派というプロテスタントの一つを、正統な教派としてとりあげます。
【スピリチュアルの起源②】 エマニュエル・スウェーデンボルグの思想
プロテスタント改革派・長老派の教え
正統なキリスト教は、聖書を誤りのない神の言葉と信じます。
天地創造
天地は、神により創造されたのです。もちろん、人も創造されました。創造直後の人は、エデンの園という楽園で、神と仲良く暮らしていました。男をアダム、女をエバといいました。ここに、悪魔の化身・蛇が現れます。神が「食べてはいけない」と命じていた、知恵の実と命の実がありました。蛇はエバに、「知恵の実を食べても死にません」と言ってそそのかしました。エバはついに、知恵の実を食べてしまいました。さらにエバは、アダムにまで知恵の実を食べさせました。知恵の実を食べることは、神の命令に背く行為だったのです。人が知恵の実を食べたことを知った神は、人をエデンの園から追い出しました。有名な失楽園の話です。
人は神に似せて創られたので、神に背くこともできたのです。これを自由意志といいます。そして、人間の祖先が犯した神に対する背き、すなわち知恵の実を食べたことを、「原罪」といいます。原罪は、遺伝として子孫に受け継がれる性質がありました。
律法
失楽園の後、人はどんどん増えていきました。あるとき、天地創造の神は、「正しい人」を選びました。その人の名は、アブラハムといいました。神は最初は、アブラハムの家族を正しい方向に導いていました。アブラハムの子孫も、どんどん増えていきました。そして、アブラハムの子孫でありながら、神に背くものがでてきました。そこで神は、神の言葉を預かる預言者を選び、神の言葉を伝えました。有名な預言者に、モーゼやエレミヤ、サムエルなどがいます。やがて、アブラハムの子孫は、エルサレムという王国を築きます。アブラハムの子孫こそ、ユダヤ人だったのです。やがて、エルサレム王国は、アッシリア帝国に滅ぼされます。それでも神は、ユダヤ人を見捨てませんでした。正しい方向に導いたのです。
モーセが預言者だった時代に、神は十戒をはじめとする律法という法律を人に与えました。律法を守ったなら、永遠の命を授けようと言ったのです。エデンの園では、人は不死身でした。だけど、神に背く行為(これを罪といいます)をおこなうことにより、人の寿命はどんどん短くなっていったのです。人の中には、どうしても神の命令に背いてしまう者がいました。この神の言葉を守れない人々の行為に、神は嘆き、神の言葉を伝えるため、イエス・キリストを地上に派遣しました。
救済論
イエス・キリストは、アブラハムの子孫として、エルサレム王国の王であるダビデやソロモンの子孫として、生まれました。この時、パレスチナ地方はローマ帝国に支配されていました。
新約聖書で、パウロは人々に「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました(エペソ人への手紙1章7節 新共同訳)」と言いました。すなわち、「(イエスを神として信じるなら)イエスは、あなたがたの罪を代わりに、十字架上で贖ってくれたのです」と言ったのです。これは神の豊かな恵みによるものです。これを、神と人間との新しい契約という意味で、「新約」といいます(旧約とは、律法や神の言葉を守れば、永遠の命が与えられることを指します)。つまりイエス・キリストは、罪を犯した人々の代わりに十字架にかかったのです。これを「贖罪」といいます。
このようにして、イエス・キリストを信じる集団ができあがりました。これがキリスト教です。そして天地創造の神は、キリストを信じる者に聖なる霊を遣わし、彼らの願いをかなえました。キリストを信じようと決意することを、「悔い改め」といいます。そして、キリスト教に入信する時、洗礼を受けます。この洗礼とは、今までの自分は一度死んで、新しく生まれ変わるという意味で、「新生」と言います。
予定論
天地創造の神は、全知全能で欠けることがない「完全なる善」であると考えられていました。当然、未来も予想できると考えられたのです。このような思想を形成したのが、5世紀ころ活躍したアウグスティヌスです。そしてこの思想を、予定論といいます。アウグスティヌス自体は予定論を述べるために、神を完全なる善と考えたわけではありません。が、必然的に予定論と同じことをいっていたのです。
ローマを中心とする西方教会(カトリック教会)は、予定論を否定しつづけました。予定論は運命論であり、この思想が広まると、まずいことが起きるからです。「神は、将来、ある人がイエス・キリストを信じるか、信じないか、すでに知っている。だけど、ある人の将来は、決して人に教えない」という予定論が広がったらどうなるでしょう?教会の思想に背く人は、「神に選ばれていない」と思われ退けられます。退けられた人は、「自分は神に選ばれていない」と考え、自暴自棄になります。自暴自棄になった人は、無敵です。何でもやります。この自暴自棄な人々の発生を避けたのです。
この予定論を、思いっきり肯定した人がいました。ジャン・カルヴァンです。カルヴァンも、予定論を述べたくて述べたわけではありません。聖書の解説書を書いている時に、誤って予定論を記してしまったのです。カルヴァンの教えを信じる人々をカルヴァニストといいますが、このカルヴァニストたちにより、「神の選び」「予定論」は不動のものとされ、改革派・長老派の中心的な教えになったのです。
このような体系化された既存の聖書理解と、エマニュエル・スウェーデンボルグの考えは異なりました。スウェーデンボルグは、予定論を否定しました。
スウェーデンボルグ主義キリスト教
正統なキリスト教として、プロテスタント改革派・長老派の教理をみてきました。今度は、スウェーデンボルグの聖書理解をみてみましょう。
霊界
スウェーデンボルグの聖書理解をみる前に、スウェーデンボルグ特有の思想である「霊界」をみてみましょう。スウェーデンボルグといえば、霊界思想です。霊界思想といえば、スウェーデンボルグです。
スウェーデンボルグによれば、死後3日目に、人間は霊界に入ります。霊界は天界と地獄との中間に位置し、上層や内部からくる「善」と、下層や外部からくる「悪」との均衡によって存在する世界です。生前、聖人だった人は直接天界に、極悪人だった人は直接地獄にいきます。どちらでもなかった人は、霊界に入ります。死後、3日目に意識を回復した霊は、案内役の霊たちに導かれて、霊界に入るのです。
霊界は、生前と類似した世界です。この世界では、誰にも強制されることなく、霊は自由に活動し、自分の好みに合う他の霊や、霊の社会と交流するのです。この霊界は、心の内部が直接、外部に流れでるのです。すなわち、心の意図や思いを隠せないのです。現世では、心で悪意を抱いても、口先で悪意を隠すことができますが、霊界では、思考と言葉、意図と行動が一致してしまうのです。このため、霊は生前の本性を顕にしていくのです。
古来、いわゆる「霊界書」と呼ばれる書物はいくつかありました。「エジプトの死者の書」「チベットの死者の書」、日本・平安時代の「往生要集」、ダンテ著「神曲」、浄土教経典「無量寿経」です。これらとスウェーデンボルグの霊界とは、どのように違うのでしょうか?
まず、スウェーデンボルグの場合、個人が体験した体験談です。次に、天界、霊界、地獄に向かうのは、霊自身の意思によるものであり、地獄に落としたり天界に引き上げたりする審判者はいません。この点で、チベットやエジプトの死者の書の思想や、キリスト教カトリックの煉獄の思想とは異なります。浄土教では、煩悩により地獄に落ちるという自己審判思想があるので、スウェーデンボルグの霊界によく似ています。
また、スウェーデンボルグの霊界に、輪廻転生はありません。人間の霊魂は不滅であり、死後は霊界で生活します。ただ、霊界で生活している霊が、何らかの理由で、自分の記憶を地上の人間に送り込むことはあるそうです。
天地創造論
キリスト教徒から見ると全くけしからんことですが、スウェーデンボルグによれば、創世記にでてくる7日間の天地創造は、神が天地を創造したことだけを扱うのではなく、生物学的なヒトから霊的な人間へと新生していく「人類の霊的進化」の過程を描いたものです。
- 1日目に、天と地をつくります。天とは「内なる人間・霊的な心」であり、地とは「外なる人間・自然的な心」です。
- 2日目に、水を創造しています。水とは、理解力・知性・知識であると考えます。
このように考えると、7日間で天地が創造されたのだから、1日目の状態に達した人、2日目の状態に達した人・・・というように、ヒエラルキーができるのです。
現今、大半の人々は、ただ新生の第1の状態に達するにすぎない。若干の人々が第2の状態に達し、それよりも少ない人々が第3、4、5の状態に達し、さらにわずかな人々しか第6の状態に達していない。第7の状態に達した人といえば、ほとんどいない。
スウェーデンボルグ著・天界の秘儀16
さらに、エデンの園にある「知恵の木」と「命の木」は、それぞれ善の知覚、愛の知覚を意味するとします。知恵の実を食べてしまった人間は、善と悪を区別する能力、すなわち信仰の自由を手に入れてしまったのです。神を信仰すればいいのですが、もし神を信仰しないのなら、それは死を意味します。だから神は、「それをとって食べてはならない」と知恵の実と命の実を食べることを禁じたのです。
このように、正統なキリスト教の天地創造の解釈とは、まったく違うのです。
蛇足ですが、鈴木大拙著「東洋的な見方」では、東洋人は「光あれ(創世記)」以前の状態であると説明します。鈴木大拙は、スウェーデンボルグ主義に大きく影響されたエマソンから、キリスト教を習っています。この「光あれ」以前の状態とは、正統なキリスト教がいう状態なのでしょうか、それともスウェーデンボルグ主義の新生以前のヒトのことなのでしょうか?判断は読者にゆだねますが、浄土真宗の鈴木大拙の信奉者にとっては、大問題なのではないでしょうか。
神と宇宙
18世紀のキリスト教神学では、理神論(神の人格性を認めない)を主張する傾向が見られます。スウェーデンボルグは、この潮流に逆らうように、「神」は「愛」と「知恵」そのものであると主張しました。神は人格であり、神人なのです。神は無限の愛であり、無限の知恵であるので、人間の原型となります。そして、人間は神の愛と知恵である「生命」の受容体であり、人間の生命とは、有限の愛と知恵であると説きました。
スウェーデンボルグによれば、宇宙や自然は、無限なる神の愛の対象として創造されました。愛とは、自分の外にいる他者を愛し、他者と1つになることを欲し、他者を幸福にしようと願うことです。そして、愛の自己投影・自己表現の機能が、知恵です。宇宙とは、神の無限の愛の活動そのものであると主張しました。
キリスト論
スウェーデンボルグは、イエス・キリストを救済者と位置づけます。イエスが地上に生まれた理由は、当時、霊界での善悪の均衡が崩れだし、悪の力が優勢となっていたため、人類の自由意志への神の介入がなければ、人類は霊的に滅びる寸前の危機的状況にあったからだと主張します。贖罪とは、霊界ないしは天界と地獄、ひいては自然界の秩序の復元ということになります。
ミカエル・セルヴェトゥス
ミカエル・セルヴェトゥスは、宗教改革時に活躍した、スペインの医者です。「神とイエスと聖霊の住む世界の位相が違う」という特有の三位一体論を主張したため、火あぶりの刑に処せられました。既存のキリスト教の教義を否定し、独自の神学を展開した点で、スウェーデンボルグと類似性をよく評価されます。
愛の本質は精神の火である。
エマニュエル・スウェーデンボルグ
まとめ
【スピリチュアルの起源②】 エマニュエル・スウェーデンボルグの思想
スウェーデンボルグの思想は、既存のキリスト教であるカトリックの思想や、ルター、カルヴァンなどにより構築されたプロテスタントの思想と、大きく異なっていました。彼は、既存のキリスト教、特に予定論を批判しました。そして、彼自身の霊的体験を基にして、聖書を独自に新しく解釈しました。この解釈を、スウェーデンボルグ主義といいます。スウェーデンボルグ主義が、ニューソート派や心霊主義・神智学に、大きな影響を与えました。
参考:高橋和夫著「スウェーデンボルグの思想」(講談社)
Photo by jaci XIII.
著者プロフィール
- 理系大学を卒業し、製造業に携わっているにもかかわらず、西洋や東洋の思想に興味を持ち、コツコツと勉強しています。
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