世界という大きな公園で、私たちは「生きること」をして遊びます。神さまを好きなように思い描き、勝手に絶望して一生を台なしにしてみたり、愛して希望を見出したりと、気のおもむくままに。
神さまは、私たちの遊びに干渉しません。遊びにいった子どもが、誰とブランコに乗るのか、どんな戦いごっこをすべきかなんて、毎日気にする親はいないのです。ただ、不意にさびしくなって甘えてきたら、抱きしめてやるだけです。
神さまに抱きしめられたとき、私たちはおごそかな全能感に満たされます。そしてもう、二度と手放したくないので、どうにか捕まえよう、捉えよう、ひとり占めしようと、懸命になります。そして公園では、仲間はずれや祝福の奪い合いが再びはじまりますが、やっぱり神さまは私たちの遊びに干渉しません。