夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
「才能」というのは、誰もが羨むもので、ないよりはあった方がいいものです。そして夢を追いかけるからには、自分の才能を信じて磨きをかけたいところですね。でも、才能がありすぎて、逆に自分の才能に潰される、なんていう皮肉な話も、芸能ニュースを騒がせる昨今です。
今回は、潰されないように才能を伸ばす方法のお話しです。「才能」と「知恵」の間に、何か深い関係があるようです。
【潰されない才能の伸ばし方】「才能」と「知恵」の意外な関係
「才能」と「知恵」の奇妙な関係
そもそも、「才能」とはなんなのでしょうか?「才」という漢字は、「生まれつきの能力」という意味を持ちます。それがわかれば、「才能」も「生まれつき持っている能力」という意味であることは簡単に想像できます。それでも一応、辞書ではどう説明してるんだろうと思って調べてみると、「才知と知恵のこと」とありました。知恵はなんとなくわかるけど、「才知」ってなんだろうと思って調べてみると、今度は「才能と知恵のこと」。なんだか、キツネにつままれたような話です。でも、ここでひとつ面白いことがわかりました。
「才能」と「知恵」は、何か関係があるらしい。
少なくとも、その辞書を書いた日本語の専門家たちは、そう考えていたようです。果たして、才能と知恵の間には、どんな関係があるのでしょうか?
「才能」って、どんなイメージ?
「才能」という言葉について、もう少し深く見ていきましょう。私たちは一体、才能をどのようなものとしてイメージしているのでしょうか?それがわかれば、才能とどうつき合っていけばいいかも、わかるはずです。
「才能」という言葉に対して、私たちは「伸ばす」「潰す」「活かす」「埋もれる」「豊か」などという言葉を使います。その中でも気になるのは、「才能開花」という言葉。私たちはどうやら、才能を「花」に例えることが多いようです。才能とは「花」「植物」のイメージである。そう思うと、先ほど挙げた「伸ばす」「潰す」「活かす」「埋もれる」「豊か」といった言葉も、なんだか植物に使う言葉のように思えてきませんか?草が伸びる、種が埋もれる、実り豊か、などなど。
やはり、私たちは「才能」を、植物のようなものとしてイメージしているみたいです。では、植物のどの状態をイメージしているのでしょうか?種でしょうか?蕾でしょうか?花でしょうか?果実でしょうか?「才能開花」という言葉があるからには、「才能」という言葉のイメージは、花が咲く前の段階、種から蕾のどこかだと考えられます。ここで気になるのが、「才能の塊」や「才能のかけら」といった表現の仕方。種から蕾までの間で、「塊」や「かけら」で表現できそうな状態といえば・・・ 種です。才能とは、種のイメージなのです。
そう考えると、確かにどんな才能も、最初から突出したものではありません。どんな天才だって、片りんを見せることはあっても、最初から完成されていたわけじゃない。どんな才能だって、最初は小さな「種」だったのです。だから、「自分には何の才能もない」というのは、土に埋もれた小さな「種」に気づいていないだけ。種がある場所にちゃんと「頑張り」や「工夫」という水や栄養を与えなければ、芽が出ることも花が咲くこともないのです。
「知恵」って、どんなイメージ?
さて、そんな才能の種を育てていくときに、意識するべきなのが「知恵」の存在です。そもそも、「知恵」って、いったいなんでしょうか?
- 「知恵比べ」という言葉がある通り、「知能」に近いニュアンスを持つ言葉でしょう。しかし、「知能」が「知能指数」のように数値で表せるのに対し、「知恵」は数値で表すような使い方はしません。
- そういう意味では「知性」に近いようですが、「知性」が雰囲気を表す言葉なのに対し、「知恵」は「暮らしの知恵」などのように、具体的な情報を指す場合もあります。
- 「具体的な情報」という意味では、「知識」も近い言葉です、しかし、「暮らしの知恵」と「暮らしの知識」では、何かニュアンスが変わってきます。
おそらくは、「知識」が「個人が持っている情報」を意味するのに対し、「知恵」は「世代を超えて共有される情報」を意味するのではないでしょうか?「暮らしの知恵」や「知恵袋」が、何世代も受け継がれていくように。
では、この世代を超えて共有される「知恵」という言葉を、私たちはどのようにイメージしているのでしょうか?
「知恵を絞る」という言葉があります。絞るものといえば雑巾か果実ですが、雑巾は絞った物が役に立つのに対し、果実は絞って出てきた果汁が役に立ちます。「知恵を絞る」も、絞って出てきたものが知恵なので、知恵は果実のようなイメージなのではないでしょうか?旧約聖書に出てくるアダムとイブが食べたリンゴも、「知恵の実」と呼ばれています。どうやら、古今東西、果実は知恵の象徴だったみたいです。
「種」である才能と、「果実」である知恵。そろそろ、この二つの関係がわかってきたのではないでしょうか?
種である才能を伸ばし、育てていく。やがて、才能は花開き、実をつける。この実こそが、「知恵」です。才能と知恵の不思議な関係。それは、「才能を育てていくことで、知恵が生まれる」ということです。
知恵とは、世代を超えて、広く世のためになること。どんな才能であれ、それは広く、人の役に立てるためにある。ただただ自分の名声を上げるためだけに、お金のためだけに才能を使うのであれば、どんな天才であれ、いずれはこう呼ばれるでしょう。
「あいつは、自分の才能に負けた」
そもそも、この話は「才能」を辞書で調べたら、「才知と知恵のこと」と書かれていたことに端を発します。つまり、「才能」という言葉の中に、「知恵」がすでに含まれていたのです。種の状態からスタートして、育てて花を咲かし、実をつけて誰かに分けてあげる。そこまでが「才能」という言葉の本当の意味なのではないでしょうか?
There is no such thing as a great talent without great will power.
偉大な意志の力なしに、偉大な才能などというものはない。
バルザック
まとめ
【潰されない才能の伸ばし方】「才能」と「知恵」の意外な関係
- 才能は誰かの役に立って、はじめて価値が生まれる。
- 誰の役にも立てるつもりのない才能など、本来は「才能」とは呼べないのです。
著者プロフィール
- 2015年にピースボート地球一周の船旅に参加し、現在は仮面ライダーの記事を中心にフリーライター業。また、埼玉を中心に、道端の野仏から日本の民俗を研究している日本民俗学ファン。現在、船旅や日本民俗学などをテーマにしたブログ「僕らは旅人」を展開中。
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