夢を叶える145☆セルフイメージの変容と引き寄せ
最近障害があると配慮されることが制度や法律で決まっていて、配慮されることが当たり前だと感じる障害者も増えてきて、配慮されることが生きるための権利だと主張する障害者もいますが本当にそうでしょうか?
確かに障害があると配慮がないと社会の一員として活躍することは難しいですが、配慮されることを待ってるだけしかできないの?
今の障害者は配慮されることを待っていたら何とかなるかもしれませんが、昔だと配慮されることを待っていても何ともならないから自らやるしかなかったです。
例えば車椅子で段差があるとスロープができるまで待つか、人に頼むか迂回路を探すか強引に上がるか、色んな方法があるけれど今の障害者は配慮されることが当然になって来たのでスロープができるまで待つでしょうね。
昔の障害者は色んな工夫をして段差を乗り越え行きましたが、どっちが豊かな人生だろうか?
例え障害があっても色んな工夫をして段差を乗り越えられると、自信や達成感や充実感があり、障害者力が付くと思うけれど,最近はそんな機会が少なくなり障害者力が乏しい障害者が多いです。
何でも健常者と同じようにできる時代になり、配慮されることも増え何も考えずに配慮される障害者も多いですが、配慮されることは権利でもないし当たり前のことでもない。
配慮してくれる「人」がいるから健常者と同じように活躍ができるわけで、色んな法律や制度ができ配慮されることが当然になって来て、人の善意とかは気付きにくくなり障害者力が乏しいとそういう人たちの存在を忘れがちになる。
これで例え健常者と同じように活躍ができて夢や望みが叶えられたとして幸せだろうか?
支えてくれる人が一緒に喜んでくれたり悲しんでくれたりするから頑張れるけれど、法律があるから配慮されることが当然という気持ちになるとこんな感情も減るでしょうね。
どんなに配慮が当たり前の時代になっても、色んな工夫をして障害を乗り越える能力や支えてくれる人の気持ちがわかる心は持ち続けたいですね。
まとめ
まとめ
配慮されることが生きるための権利だと主張する障害者もいる
支えてくれる人が一緒に喜んでくれるから頑張れる
配慮されることは権利でもないし当たり前のことでもない
著者プロフィール
2019.06.15多様な生き方ができる時代・型をぶっ壊そう
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2019.05.29インクルーシブ社会の理想・見えない壁を壊そう
2019.05.23夢を取り戻す地域移行21・どんな人でも夢が持てる社会とは?